ーー私のお墓の前で泣かないでください
墓石の下で眠る、故人の声が聞こえてきそうなシチュエーション。
わたしは港区のとある寺に侵入し、ギュウギュウ詰めに建てられた墓石の前で、人目も憚(はばか)らず、いや、霊目も憚らずわんわん泣いた。
*
都会の道を歩きながら涙が止まらない時、人気(ひとけ)のない場所などそうあるものではない。
今でこそ常時マスクを着用しているため、目から流れる液体は一瞬でマスクに吸収される。
だが、次から次へと溢れ出す涙は止まることを知らず、通りすがりの他人が二度見するほど。
ーーまずい。このままでは男にフラれた痛いヤツだと思われる。
キョロキョロ見渡す先に「なんとか寺」という看板が見えた。
ーーあそこなら人気(ひとけ)もないし、思う存分泣けるだろう。なんせ墓なんだから、泣いていても不自然じゃない。
*
入り口にある荘厳なゲート(?)をくぐり、寺の敷地内に足を踏み入れる。
まずは左右に、御影石でできたカエルとゾウの置き物がお出迎え。カエルよりゾウの方がちっちゃくてかわいい。
さらにゾウは小さいのが複数連なっており、もしもカエルがピョンと跳ねたなら、ゾウは全滅するだろう。
カエル・ゾウエリアを過ぎると、赤いヨダレかけをつけた地蔵や、背中に丸いオーラを背負った石仏などが、道の脇にずらりと並び無言のプレッシャーを放つ。
港区の寺院ゆえ敷地は狭い。墓地の隣りにはマンションが建っており、手を伸ばせば墓石に触れられる距離。
これが都会の墓場ってやつかーー。
わたしが知っている墓場は、隣り合う墓石の間を人が余裕で行き来でき、端から端まで視認するのは不可能なほど広々とした場所にある。
だがここはどうだ。墓石と墓石の間が数十センチしかない。
卒塔婆(そとば)など、扇子のように重なり合って倒れかけている。
不謹慎だが、アイスの棒が無造作に大量に刺さっているかのようだ。
さらに墓石も地価を反映しているのか、どれも小ぶり。
郊外の墓場では、周囲より一段高い所に外柵・階段付きの、豪華で巨大な墓を見かける。
しかしここにはそんな偉そうな、自己主張の強い輩はいない。さすがは港区。
とりあえず墓場エリアをウロウロするが、狭くて歩けたもんじゃない。墓石にぶつからないよう、横になってそーっと移動する。
ましてや知り合いの墓があるわけでもなく、ただただ、墓石に彫られた見知らぬ故人の名前を読み上げるのみ。
ーーなんで墓場に来たんだっけ・・・
もはや本来の目的を忘れたわたしは、そそくさと寺を後にした。
*
そして人通りのある道へ出ると、またもや目からボロボロと涙がこぼれ落ちるのだ。
ーーなぜだ?なぜ人間を見ると涙が出るのだ?
わたしはさっき、瞳孔を開いて眼底検査をした。それだけでは足りずに、細隙灯(さいげきとう)顕微鏡のごついレンズをグリグリと眼球に押し込まれ、決して目を閉じられない状態で、眼底に向けて強い光を当てて網膜の隅々まで検査された。
あまりの眩しさに目を背けたくても、目玉をレンズでガッチリと押さえつけられているので動かせない。瞬きをしたくてもレンズがあるので当然できない。
突き刺すような鋭い光を直視し、抵抗などする余地もなく、ただポロポロと涙をこぼすだけだった。
ーー眩しすぎて目というか脳が痛い。
だがこれもすべて自業自得。
マイナス13という強度近視に加え、遺伝である網膜の薄さは致命的。普通の人ならば何でもないちょっとした衝撃が、わたしにとっては一発アウト。
不運ではあるが、悔やんだとて仕方ない。
そんな思いが頭をよぎると、歩きながらでも涙が込み上げてくるのだ。
とそこへ、さっきの寺よりも古びた小さな墓地を見つけた。
ーーここに入ろう。
*
そしてわたしは、どこの誰かも分からない墓の前で、わんわん泣いた。
墓石の下から流れるBGMは、間違いなくアレだろう。
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