或阿呆の一目  URABE/著

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なんだろう、透明なグラスに注がれた水をゆらゆらと漂う、墨の残骸のようなヒモは。

ときに目の前へ泰然と現れたかと思うと、目玉を動かせばサッとどこかへ消えてしまう、素早さと意地悪さを持ち合わせている。

 

墨であると思えばミトコンドリアであったり、いやいや寄生虫だろうと思えばカエルの卵のようなものまで、いろいろな姿の「奴等」が次々と現れてくる。

 

昨日までこんな奴等はいなかった。というより、ついさっきまでいなかった。

それがなぜ、今になって急に現れるんだ。

 

白いブラインドを見ていると、次々と襲いかかってくる黒い悪魔たち。奴等の目的は何なんだ。

視界の半分を黒い汚れが覆っている。クソ、どけよ。

 

次から次へと現れては消え現れては消え、断続的にわたしを恐怖へと誘(いざな)う。

 

ーーわたしに明日は、もう来ないのかもしれないな

 

そんなことを思いながら、とりあえず風呂に入る。もし明日死んでいてもいいように、最期くらいカラダを綺麗にしておこう。

湯船に湯をたっぷり張ると、ぐったりと崩れ落ちる。

 

白い天井を見上げると、また奴等が視界の邪魔をする。白が美しければ美しいほど、奴等の存在が否が応でも誇張される。

 

ーーなにかに似てるなぁ

 

イソジンだ。

子どもの頃、うがいをするのにコップへポチョンと垂らしていた、あれにソックリだ。

 

うがいをするのが好きじゃなかったわたしは、いつもわざと水に溶けるイソジンを眺めていた。イソジンの影が消えてなくなるまで、ずっとぼーっと眺めていた。

 

ゆっくりと螺旋を描いて沈みながら、消えていくイソジン。

 

今の状況に比べれば、あの頃のイソジンのほうがどれだけマシか。

イソジンは水に溶けていつしか消える。だがここにいる奴等は、いつまでも消えることなく漂っている。

ずっとわたしを脅かしている。

 

あぁ、この墨の残骸が消えてくれたらどんなに幸せか。

 

奴等の正体を暴こうと躍起になって目で追うが、追えば追うほど逃げていく。ちょうどある一定の間隔を保ちながら逃げていく。

 

ーーダメだ、このままでは手遅れになる

 

もし今が昼間ならば誰かに助けを求めることができただろう。だがこんな夜中では無理だ。

昼とか夜とか、一体誰が創ったんだろう。緊急事態はいつだって、助けを求められない時間帯に起きる。

 

つまり、万事休す。

 

だがわたしは、いつだって死ねる覚悟で生きてきたはず。だから恐れることはない。

いずれそうなるのならば、悔いのない人生を歩んできたと胸を張るべきだし喜ぶべきだ。

 

それでもビビりのわたしは、夜間救急病院へ電話をかける。しかしどこも、当直に専門医がいないとか、いても検査ができないとかで門前払いを食う。

まぁ、おとなしく死を味わうのも悪くない。

 

明日まだ、生きていたら考えよう。

 

今日のところはこれでおしまい。

 

(完)

 

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