上空一万メートルの完全犯罪  URABE/著

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「そこ、俺の席なんだけど」

 

ロサンゼルスからの帰国便に乗り込んだ俺を待ち構えていたのは、某有名ユーチューバーグループによる、胸糞悪い洗礼だった。

 

今回の飛行機の座席について、俺はとある賭けに出た。賭けというほどのものではないが、最後列の4人掛けの通路側を指定したことには訳がある。

カネを使わずに快適な座席を確保するコツとして、窓側の2人掛けまたは3人掛けを一人で使用するという方法がある。こうすれば、完全に足を伸ばすことはできなくても、ほぼフルフラットの状態で爆睡できるからだ。

 

無論、ベストは真ん中の4人掛けを一人で使用することだ。これができたら完全なるフルフラットで、快適な空の旅を満喫することができる。

だが4人掛けを一人で占領するのは、そう簡単なことではない。そもそも乗客数が少なくなければ不可能だし、3人掛けと4人掛けの端っこに人がいる場合、一般的には4人掛けの逆サイドの席を選択するだろう。

 

このような事情からも、4人掛けを独り占めするには、運が味方してくれなければ実現できないわけだ。

 

そして俺は今回、その賭けに負けた。

負けたどころか、俺の座席の周辺にユーチューバーたちが点在する形で座席を確保したため、奴らの非常識で下劣な会話が飛び交うエリアに、強制的に巻き込まれてしまったのだ。

 

それよりなにより、まだ俺が一秒も着席していないシートが乱れている。備え付けの枕とブランケットはぐしゃぐしゃ、ヘッドフォンは床へ投げ捨ててある。

さらに何かの殻がシートにも床にも、そしてシートポケットにもばら撒かれている。

――ピスタチオだ。

 

なぜ俺は、離陸前にこのような仕打ちを受けなければならないんだ?

 

「そこ、俺の席なんだけど」

怒りを抑えて静かに問いかける。

「え?オレの席じゃないんスか?あ、そーっすか、へぇ~」

すっとぼけた表情でピスタチオを食い散らかしながら、小汚い身なりのそいつはすごすごと自らの席へと移動して行った。

 

震える拳をおさえながら、近くにいるCAに声を掛ける。

「座る前からこの汚さなんだけど、どうにかならないかな?」

あわよくば、プレミアムエコノミーにでも移動させてくれたらいい。だが離陸前の忙しい時間帯ゆえ、CAは急いでピスタチオの殻を拾い集めると、離陸後に対応すると言い残して去って行った。

 

仕方なく席に腰を下ろすと、まだあいつのケツの温もりが残っていることに嫌悪感を抱き、ブランケットを座布団代わりにしてシートベルトを締めた。

イライラを鎮めるために、何か読もうとシートポケットに手を入れると、なにやら雑誌とは違う手触りの物体が入っている。

ひょいと指先でつまみ上げてみると、なんとそれはパスポートだった。濃紺の表紙の5年パスポートだ。

 

この時点で俺はピンと来た。

(間違いなくアイツの物だ)

すぐさまIDページを開くと、そこに記載された名前を検索。するとやはり、某有名ユーチューバーだった。

漢字で記入された氏名の筆跡は、かつて見覚えのある、細かく震えた特徴的な四角い文字。そう、統合失調症患者の筆跡だ。

 

真新しいパスポートは、今回の渡米のために用意したものだろう。他に入国のスタンプがないところをみても、間違いなさそうだ。

 

それにしても、アイツらの存在が許せない理由がもう一つある。それはマリファナを吸っていることだ。

マリファナの独特な臭気が、俺の座先にも強く染みついており吐き気を誘う。鼻にこびりつくような、毒の匂いを放つお香とでもいおうか。吸ったことがなくてもすぐに「マリファナだ」と分かるほどの、青臭い強い刺激臭がプンプン漂っている。

 

さらに俺の二つとなりには、グループのメンバーが座っている。あぐらをかいているため、こちらから足の裏が見えるのだが、真っ黒に汚れている。

足元を見ても靴らしきものが見当たらない。どうやら裸足で搭乗してきた様子。

 

ケータイ片手にインスタライブではしゃぐ某ユーチューバーたち。

オールで遊んで空港にやってきたことを自慢げに語っている。ここ数日、風呂にも入っていない!とドヤ顔で語るそいつの足裏は、おっしゃる通り、真っ黒に汚れている。

その足でシートに体育座りをしたり、シートモニターを蹴ったり、あの席には何があっても座りたくはない。

 

ていうか、俺はなぜ未使用のシートを汚され、マリファナの臭いをかがされ、おまけに唖然とするほど低レベルな会話が飛び交う場所に拘束されなければならないんだ?

席を移動できたとしても、このマリファナ臭はそう簡単には消えない。吐き気を抱えながら、地獄の12時間を過ごさなければならないのか?

 

その時ふと、手元のパスポートに目がいった。

 

完全犯罪は密室で行われるもの。そしてパスポートの持ち主は、バカ面下げてインスタライブに夢中。やるなら今しかない――。

 

俺はパスポートを細かく千切った。手でちぎれない部分は、バッグに入っていた爪切りで細かく切り刻んでやった。

両手にこんもりと出来上がったのは、裁断されたパスポートの紙吹雪。これをアイツらに向かってパァーッと巻いてやりたいが、それでは証拠が残る。

 

一切れも残さずエチケット袋に入れると、俺は静かに席を立った。そしてトイレへと向かった。

上空一万メートルの強力な気圧差で、勢いよく汚物ダンクへと吸い込まれるがいい。

 

証拠はない。よって、俺は無罪だ。

(了)

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