一円玉は、旅がらす

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これだから現金なんて持ち歩かないほうがいいんだ――。

 

私はいま台場のスタバにいる。そしてベンチのようなソファに腰かけて仕事を進めているのだが、さっきから私の左30センチ横にチラチラ光るものがある。視線を送るとそれは一円玉だった。

 

いまどき一円玉など、めったに使うことはない。それどころか私に至っては現金を持ち歩かないため、もはや小銭に通貨の価値があるのかどうかすら危ういところだ。

だが一円玉は立派な貨幣であり、たとえば穴をあけて首飾りにしたり、溶かしてアルミ溶接に使ったりしてはならない。貨幣損傷等取締法という一条しかない法律に、

① 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。

② 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶす目的で集めてはならない。

③ 第一項又は前項の規定に違反した者は、これを一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

と定められており、違反すると一年以下の懲役か二十万円以下の罰金に処される。つまりたとえ一円玉といえども、丁重に扱わなければならないのだ。

 

そしてこの一円玉、今後どのように処理をされようが、誰の得にもならない。

 

まずは本来の持ち主にとって、一円玉をソファに落としたことなど思い出しもしないだろう。いや、失くしたことすら覚えていない可能性が高い。仮に覚えていたとしても、まだその場にあるか定かではない一円玉を回収しに、わざわざここへ戻ってくるだろうか。とても現実的ではないため、この一円玉が持ち主の元へ戻ることは一生ない。

つぎに、一円玉の落とし物を発見した私にとって、この無価値に等しいコインをポケットに入れることで得はない。そもそも財布を持ち歩かない私が一円玉をしまうとすれば、ズボンのポケットだ。帰宅後、運よく一円玉の存在を覚えていれば、ポケットから取り出し滅多に使わない財布へ移す。だがまず記憶に残っていないため、ズボンと一緒に洗濯機で洗われておしまいだ。

それよりなにより、スタバのソファに置いてある一円玉を拾得すれば、窃盗罪にあたる。スタバの占有ではなく前客の占有であれば、占有離脱物横領となり、いずれにせよ犯罪行為ということになる。ではこの一円玉を警察に届けるという奇特な行動に出た場合、果たしてそれは正義なのだろうか。この拾得物の処理にかかる警察官の労力と費用を考えると、確実に大赤字となる。ならば、店員に渡せばいいだけのこと。

最後に、一円玉を手渡された店員にとって。落ちていた貨幣をレジに入れることもできず、落とし物ボックスへスルーパスしかない。さらに落とし物ボックスは数か月で廃棄処分となるため、その時期が訪れた際にこの一円玉は邪魔以外の何ものでもない。さすがにこの期に及んで警察へ届出ることもしないだろうし、かといって売り上げには当然ならない。しかもこんなことを言ってはバチが当たるが、一円ごときをネコババしようとも思わないわけで、この一円玉はいずれ行き場を失う運命なのだ。

 

(可罰的違法性、ってやつか)

 

ふとこんな単語が脳裏をよぎる。可罰的違法性とは、たしかに犯罪行為ではあるものの、実質的な違法性が処罰するに足りない場合、その犯罪は成立しないという考えのこと。

仮に私が一円玉をネコババしたとして、持ち主が警察に被害届を出して店内の防犯カメラから私が割り出され、逮捕されるという確率は果てしなくゼロ。とはいえ犯罪は犯罪であり、決して気分のいいものではない。ならばどうするのが正義なのか――。

 

この答えは個々の倫理観、正義感によるだろう。きれいごとだけでは片づけられない真理がそこにあり、落とし主、拾得者、落とし物をされた店舗、届出を受けた警察、それぞれの本音と建前がある。これが機械ならばなんてことはない、落とし物を拾って遺失物マシンへ放り込めばいいのだから。

しかしその処理を行うのが人間である以上、ましてや仕事として扱わなければならない場合、やはりそこに本音がチラつくのも無理はない。

 

こうして2時間が経過するが、相変わらず一円玉はそこにある。平成元年生まれのこいつは今年34歳。表面は傷だらけでなだらかな丸みを帯びている。こいつなりに過酷で波乱万丈な人生を歩んできたのだろう。とはいえ私より年下なのか、と軽くショックを覚える。

(よし、無視しよう)

触らぬ神に祟りなし。落とし主が途中で気がつき、スタバへ戻ってくることを祈る。

 

サムネイル by 希鳳

 

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