今度こそ、今度こそ"ついに春になったのだ"と、わたしは強く確信した——。
今までは、正直なところ「春であってくれ」と願う部分が多かったのを認めよう。どこか肌寒さを感じたり、「春本番というにはまだ早いか・・」と後悔したりしていたわけで、冬物の衣服をクリーニングへ出してしまった手前、虚勢を張るしかなかったのも事実。
だが今日は、まぎれもなく「春だ!」実感することができた。これでもう、寒さという恐怖とはおさらばできるのである。
*
早朝から予定のあるわたしは、前の晩から天気予報を気にしていた。どうやら一日中雨が降る上に、気温は前日と比べてかなり下がる模様。
(最高気温13度って、また冬に逆戻りか・・)
3月の終わりから4月の初めにかけて徐々に気温が上がり始めた頃、13度という気温は決して暖かいものではなかった。とはいえ、15度を越えると「ちょっとマシな寒さ」という気がしたが、18度であっても風が吹くと肌寒さを感じるわけで、さすがに20度の大台に乗るまでは油断できない状況が続いていた。
そんな経験もあり、最高気温13度という数字に戦々恐々としていたわたしは、ロンティーの上にフーディーを着て、さらにスプリングコートを羽織って出かけることにした。昨日は薄手のトレーナー一枚でウロウロしていたが、今日は寒の戻りなのだから厚着しすぎて十分なはず——。
だが、小雨がぱらつく路地を歩きながら、「怯えるほどの寒さではないな」と内心ホッとしていた。食べ物が多少腐っていても腹を壊すことはないし、怪我にも強い丈夫な体を持っているにもかかわらず、寒さだけにはめっぽう弱い・・という特殊な弱点を持つわたしは、とにかく気温に対してナーバスになる。だからこそ、暑いか寒いかを選ぶならば即答で「暑い」を選ぶわけで、寒さに震えるくらいならば汗ばむくらいがちょうどいいのだ。
ところが、電車に乗ってしばらくすると徐々に焦りを感じ始めた。
(なんか、暑くないか・・?)
周囲の乗客を見回すと、さすがに半袖の者は見当たらないが、ダウンジャケットなど真冬のアウターを羽織るものもいない。どちらかというと、わたしが最も厚着をしているかもしれない状況で、首回りに汗が滲み始めたのだ。
スプリングコートを脱ぐことはできるが、こんなかさばる布地を抱えて歩くのはまっぴらごめんである。だったら着てこなければよかったじゃないか・・という後悔だけはしたくないので、ここは意地でも脱ぐことはできない。
とりあえず、首にまとわりつくフードを掴んで空間をつくり、さりげなく空気を送り込んでみた——ダメだ、あまり涼しくならない。
それでも、"首回りを温めることで余計に汗ばむ"という悪循環だけは避けなければならないので、両手で首回りを引っ張りながらパタパタと扇ぐ仕草を続けたところ、さらなる悲劇が襲い掛かった。
(やばい、脇汗が・・・)
ただでさえ厚着をしている上に、首回りを覆うフードのせいで体温が上がっているわたしは、少しでも涼しくなろうと首から空気を送り込むべく両手を上下に動かし続けた結果、それがある種の運動となってしまい脇に汗をもたらしてしまったのだ。
これはもう最悪だ——。今さらスプリングコートを脱いだところで、脇汗で濡れたロンティーが乾くことはない。しかも汗は滾々(こんこん)と湧き出ており、今さら何をどうすることもできない。
あぁ、せめてロンティーさえ脱げればマシになるが、電車内でそれはできない。しかも脱いだロンティーは無駄な荷物になるわけで、だったらいっそのこと捨ててしまおうか——いや、さすがにそれはもったいない。かといって湿った衣服を持ち歩くのもいい気分ではないし、このまま着続けたら気が狂いそうだし・・・。
そうこうするうちに下車駅へと到着した。あぁ助かった・・地上に出て13度の空気に触れれば、この暑さも和らぐはず。
逃げるように電車を降りると、体温が上がらない程度の早歩きで地上出口へと向かった。あんなにも憎いと思っていた冷たい空気を、今日ほど愛おしいと思う日はないだろう——。
そしてエレベーターのドアが開き、いよいよ肌寒さに震える瞬間が!!・・と思ったら、ぜんぜん寒くないじゃないか。気温13度のはずが、これっぽっちも寒くないのである。
——そんなはずはない。13度といえば、水風呂ならばキンキンに冷えた恐怖の冷たさだし、エアコンの温度が13度なんて尋常じゃない寒さのはず。それなのになぜ、寒くないんだ。
(・・そっか、季節は春になったんだ)
どんよりと厚い雲に覆われた雨空を見上げながら、ふとそう思った——あぁ、もう春なんだ。
*
首回りに加えて脇や腹を湿らせる汗を煩わしく思いながらも、確実な春の訪れを実感したわたしは、なんとなくいい気分で目的地へと急ぐのであった。
コメントを残す