実家に対する不満と対策

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独り暮らしが長くなると、たとえ親であってもひとつ屋根の下で過ごすのが苦痛になるから困ったものだ。

ちなみに、わたしは非常に身勝手なので、己がすり寄りたい相手ならば嫌がられても近づくが、こちらがそう思っていないのにズケズケと侵入してくる輩は、有無を言わさず排除することにしている。そんな性格からも、血のつながった親であろうが虫の居所によっては我慢ならないわけで、持って二日が限界といったところ。

それでもなんとか平静を保ちつつ、実家での軟禁生活・・いや、苦行に耐えるのであった。

 

 

(なんで風呂の温度が42度なんだ・・)

老人というのは高温が好きなのだろうか。なんと、湯船の温度が42度に設定してあるではないか。これが温泉や銭湯ならば「いい湯だな」となるところだが、家の風呂が42度は熱すぎる。

しかも、どちらかというと長風呂なわたしにとっては、湯船の温度は40度が限界。そして、熱すぎない湯に浸かりながらネットフリックスでアニメを見るのが、至極のバスタイムなわけで。

 

もう一つ、湯船に浸かるメリットがわたしにはある。それは"重力を軽減できること"だ。

ただでさえ重たい体を支え続けるわたしにとって、水中に身を委ねることは重力からの解放を意味する。いかんせん腰が悪いので、寝ていようが座っていようが腰痛に脅かされるのは時間の問題。それが、風呂に入っている間だけは痛みとおさらばできるわけで、少しでも長く安楽を味わうべく、湯船の温度は低めに設定しているのである。

 

というわけで、年寄りの温度設定に舌打ちをしながら、そそくさと風呂を後にするのであった。

 

 

(なんなんだ、この不快な匂いは・・・)

ニオイに敏感なわたしは、他人の判別すらも嗅覚で行う癖がある。顔や名前を忘れていていても「このニオイ、過去に嗅いだことがある」という具合いに、失われた記憶が蘇るのだ。

 

そんな動物的な嗅覚が災いして、実家のニオイ——正確には、実家で洗濯をした衣服のニオイが、どうしても受け入れられなかった。決して臭(くさ)いわけではないのだが、わたしが嫌いなニオイなのだ。なんていうか、田舎臭い古ぼけたニオイというか。

そのため、バスタオルや枕カバー、パジャマ、掛布団など、肌に触れる布製品はどれも新品でなければ使用できない。とはいえ、「家の中のニオイが不快」というわけではないのだ。それなのに布製品・・というか洗濯物だけが不快ということは——もしや、洗剤か!?

 

すぐさま洗濯機の隣りにある洗剤を確認したところ、よくわからない白い粉末の容器を発見——どうやら洗濯用石けんの模様。合成洗剤とは違い界面活性剤が入っていないため、人体への影響は少ないが、まさかこれのせいで衣服に変な臭が染み込んでいるのか?

そこでわたしは、持参した携帯用の合成洗剤で自分の衣服のみを洗ってみた。そもそも洗剤のせいじゃないかもしれないし、洗濯機が汚れているのが原因かもしれない。それでも、帰省から自宅へ戻るや否や、すべての衣服を丸洗いしなければならない手間はさすがに看過できない。そのせいで、実家を訪れるのが億劫になっているのも事実であり、決していい傾向ではないわけで、洗剤のせいならばあっさりと問題解決できるのだが——。

 

(・・やっぱり洗剤のせいだったのか)

乾いた洗濯物に鼻を押しつけてニオイを嗅ぐも、いつものあの不快なニオイは感じられない。ということは、あの粉石けんが原因だったと結論づけられるが、界面活性剤を含む合成洗剤がわれわれ人間に悪影響を及ぼすことは否定できないため、両親が気にしていないのならばこの事実は伏せておくべきか——。

 

もしもこのニオイが他人の家ならば、わたしは二度とそこを訪れないだろう・・おっと、誤解を招かないように補足しておくが、わたしが嫌うこのニオイは「悪いニオイ」とか「吐き気をもよおすニオイ」といった"異臭レベル"のものではない。あくまで主観的な・・どちらかというと「好み」の問題であり、なんとも感じない人も多いだろう。

それでも、物事を嗅覚で判断するわたしにとって、「受け入れがたいニオイ」というものは確かに存在するし、"ソレ"に慣れることも許容することもできないわけで——。

 

 

というわけで、乙(おつ)亡きいま、親が淹れてくれるドリップコーヒーと、圧力釜で炊く白米が美味いことだけが、実家へ帰る唯一のモチベーションなのである。

 

Illustrated by 希鳳

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