帯をギュッとが・・・

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「そこのキミ、廊下を走ってはいけません」

 

小学生の悪ガキが、教師からこのように注意された場合、どのように思うだろうか。

相手が担任ならば、表面上は素直に従うかもしれないが、内心は、

「うっせー。公僕の分際で、えらそーに注意してんじゃねーよ!」

などと、悪態をつく可能性が大きい。

 

だがもしも相手が校長だった場合、同じように憎まれ口をたたくことができるだろうか。

答えは「ノー」だ。

 

小学生にとって担任というのは、親に次ぐ身近なオトナであり、ややもすると「年上の友だち」のノリかもしれない。

しかし校長というのは、全校集会での講話の際に対面する存在であり、親や教師と同じ「オトナ」といっても次元が異なる。

さらに担任たちは、校長を前にペコペコするわけで、子どもながらに「コイツはただ者ではない!」というオーラを感じているのである。

 

そんな唯一無二の神のような、あるいは教祖のような存在である校長から、「廊下を走るな」という当たり前の注意をされたら、いかに悪ガキと言えども心底反省し、トボトボと歩かざるをえないだろう。

 

――このような悪ガキの気持ちを、まさか中年になった今、思い出すことになるとは想像だにしなかった。

 

 

「帯、ちゃんと巻き直せる?」

 

わたしに向かって校長、いや、道場の総代表が問いかけた。総代表から声をかけられることなど滅多にないにもかかわらず、着衣の乱れについて注意されたのだ。

 

じつは先日、帯の昇格があったわたしは、これまでの紫帯から茶帯へとランクアップした。

ブラジリアン柔術における茶帯というのは、「残すは黒帯のみ」というフェーズ。登山でいえば頂上が見えてきた頃であり、帯制度における後輩も増え、むしろ背中を見せなければならない立場でもある。

 

そんなわたしは、いまだに帯が結べないのだ。

 

ちなみに「帯を結ぶ」という行為は、それこそ入門したての白帯で習うことである。

そもそも、道衣をまとい帯を締めることで完成するのが、柔術の身支度というもの。それなのに、帯をきれいに結ぶことができないというのは、柔術を嗜む者としては痛恨の極みともいえる。

 

だが唯一、帯の締め方について主張できることがあるとすれば、それは「どんなに激しく動いても、ほどけない」という部分だ。

誰に習ったのかは忘れたが、とにかくほどけない結び方だということで、この結び方(しかしタテ結び)だけは体で覚えたのだ。

 

校長が近づいてくる。慌ただしく帯を締め直すわたしの手元を見つめる。

「下のほうから通すようにして・・・」

一向に進まないわたしの手さばきに、苛立ちを感じたのだろうか。校長自らレクチャーを行ってくれた。

しかしわたしは、下の帯をどこに通せばいいのかが分からない。

 

「ちょっと貸して、ここへこうやって・・・」

 

わたしの帯に校長が手を伸ばす。

 

(うわぁぁぁぁ!!!やめてぇぇぇ!!!近寄らないでぇぇぇ!!!)

 

発狂寸前のパニックに陥りながら、わたしは心の中で叫んだ。なぜなら、全身のいたるところから汗がこぼれ落ちているのだ。

校長が帯を結ぶ間、わたしの髪の毛や顔から汗がしたたり落ちるだろう。そして清潔な衣服をまとった校長の手元へ、出来立てホヤホヤの汚い汗が、いやしくも落下するだろう。

これを回避するためには、背後へ顔を反らせるしかない。だがあいにく、わたしは体が硬いのでまったく反らすことができない。

 

(し、しかたない。顔を傾けて髪の毛も横に流して、汗も横からこぼれるようにしよう。そうすれば正面には落下しないから、校長のお召し物を汚すことはないはずだ・・)

 

だるま落としのように、腹部だけを切り取って渡すことができたら、どれほど幸せだろうか。

とにかく、可能な限り腹を突き出し、少しでもわたし本体から離れたところで帯を結んでもらおうと、全身全霊で体を反らせた。

 

それと同時に、とてつもない後悔に襲われた。

 

(今まで何度も「帯がちゃんと結べていない」とバカにされてきた。そのたびに、「ほどけないからいいんだ!」と虚勢を張ってきた。・・・あぁ、せめて青帯の時点でちゃんと結べるようになっておけばよかった。茶帯になった今、帯が結べませんなどと、口が裂けても言えないわけで・・・)

 

後悔とは読んで字のごとく、後で悔やむことを指す。そしていつだって、「なんてことをしてしまったんだ!」と、狼狽しながら深く反省をするのがオチ。

「帯もまともに結べずに、よくぞ茶帯になれたもんだ・・・」

校長は内心、そう思っているのかもしれない。

 

――あぁ。このような超初歩的なミスを犯すとは、もう一度白帯に戻りたい。

 

 

「じゃあ、一緒に写真でも撮ろうか」

 

なんと校長は、茶帯に昇格したわたしと記念撮影に応じてくれたのだ。

女性であるわたしを気遣ってか、身なりを整える意味でも帯をきちんと締め直し、本来の姿を再現するよう促した様子。

 

(タテ結びしかできないわたしを、軽蔑したわけじゃないのか・・・)

 

ホッとすると同時に、最優先事項として「帯をきれいに結べるようになる」ことを、固く誓ったのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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