頸椎ヘルニアによる神経根症により、日常生活に多大なダメージを与えることとなったわたしだが、改めて「慣れ」というのは恐ろしいものだと感じている。
神経ブロック注射でリンデロン(ステロイド)を投入し、飲み薬としてタリージェ(神経性の痛みを和らげる薬)、ツートラム(痛みを和らげる)、ロキソプロフェン(痛みや炎症を抑える薬)に加えて、プレドニン(炎症を抑える薬)などを服用しているにもかかわらず、痛みは治まるどころか広がり、昨日の時点で腕をどの角度に挙げても逃げ道はなくなってしまった。
おまけに、胸やわき腹まで疼痛が降りてきていることや、腕の痺れが強くなっていることが影響し、ピアノが弾けなくなった。
さすがにピアノが弾けないのはマズいので、練習中に隙をみては腕を挙げたり体を横へ倒したりして、どうにか痺れを弱められる角度を探しているのだが、なかなかうまくはいかない。
だからといって練習しないわけにはいかないので、とにかく痺れたままの腕と指で意地でも弾き切る練習をするのであった。
このような最悪の状態で日々を過ごさなければならないわたしは、もはや痛みに耐えることを放棄した。どうしたって痛いのだから、わざわざ痛くないフリなどする必要がない・・と思い始めたのである。
それからは、電車の中でも街中でも人目をはばからず左手を挙げたり(激痛や痺れがやや緩和するため)、恥じることなく苦痛に顔を歪めたりしている。
ちなみに、左手だけを挙げていると疲れるので、右手で左手を掴むことでラクをしながら歩いているのだが、その姿はまるで「トルソーウォーキング」さながら。
デューク更家氏が考案したトルソーウォーキングは、歩数よりも歩き方の質を重視し、正しい姿勢で腹部の筋肉を効果的に使い、全身の循環を良くしてダイエットや健康効果を高めることを目的とした歩き方のこと。
当然ながら、こちらはトルソーウォーキングをしているわけではないのだが、傍から見たら「デューク更家だ!」と言われるくらい、やや目立つ歩き方であるのは否めない。
そんな悪目立ちする歩き方である上に、痛みに耐えるべく顔面をくしゃくしゃにしているわたしは、ある時、人混みの中で前を歩く中年サラリーマンのバッグに接触してしまった。
すると、文句を言おうと舌打ちしながら振り返ったサラリーマンは、わたしの顔とデューク更家ポーズを見るなり「だ、大丈夫ですか?!」と、怒りの表情から不安・・いや、恐怖に慄く表情へと変わっていくのを確認したのだ。
(よっぽど、変なんだなわたし・・・)
両手もしくは片手を挙げながら、顔中をくしゃくしゃにしつつ歯をむき出しにして痛みを堪える姿は、誰がどう見ても正常ではない。とはいえ、そんな危ない人物に声をかけたり近寄ったりする者もいないので、結果としてわたしは「何をしても許される状況」を作り上げていた——アレ?もしかして今、わたしは無敵のヒト?
*
というわけで、内面的には痛みに耐えるが外見的にはそれを隠さないことを選んだわたしは、いかなる時も”鬼の形相”で過ごしている。
ちなみに、今年こそモテ期が訪れる・・と信じて止まないわたしは、髪型をボブっぽくしたりフットネイルをワインレッドにしたり、女性らしさをアピールするべく努力を重ねてきた。
だが今、それらの努力をすべて無駄にするかのような、誰も近づいてこない——というか、近づくことのできない恐ろしいオーラと形相で闊歩しているわけで、どうやらモテ期は来年に持ち越される模様。
(いや待てよ・・こんな鬼の形相に惹かれるオトコがいたら、それこそが本物の愛に違いない!!)




















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