昨日のことだから昨年のことになるが、2022年大晦日の昼下がり、わたしは大事件を起こしかけた。
日頃からトラブルばかり巻き起こすタイプではあるが、今回に限っては単独事件であり、しばらくの間は表社会に出られない可能性すらある「大惨事」となるところだった。
とにもかくにも、未遂で終わって本当によかったとしか言えない。ではいったい、わたしはどんな大事件を起こしかけたのか?
――なんと、「大」を漏らしかけたのである。
曲がりなりにも女子の端くれが、このようなお下品なエピソードを発信するなど、普通の人間ならば正気の沙汰とは思えない。
だが、このような話ができるということは、これすなわち「漏らしていない」ことを意味する。
失敗していないことを裏付ける最大の方法が、ギリギリセーフの成功談を語るということであり、例えるならば「勝者の流儀」とでもいおうか。
ならば聞かせてやろう、大晦日の熱き戦いについて!
*
(・・・まずい、「大」をもよおしてきたぞ)
首都高を走りながら、わたしは微かな不安に襲われた。急激な症状ではないが、さっきからなんとなく腸の様子がおかしい。
助手席に座るわたしは、この辺りにパーキングエリアがないことを承知しているため、運転手に対して便意を催していることを告げなかった。
当たり障りのない会話を続けるうちに、緩やかな便意の波が二度三度と通り過ぎていく。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるのだ。問題ない、わたしの精神力を舐めるな。
木更津方面へ向かうわたしは、東京湾アクアラインへと向かっていた。
無論、外の景色を楽しむ余裕などない。頭の中で意味不明な数字をかぞえることで、腸に意識がいかないように配慮するのが精一杯。
それでも、川崎浮島ジャンクションを通り過ぎたあたりで、不測の事態を恐れたわたしはそれとなく呟いた。
「トイレにでも寄っておこうかなぁ」
緊急性はなく、まぁパーキングエリアでもあればちょっと立ち寄ろうか、くらいのノリを強調して伝えた。
そのついでに窓の外を見ると、まるで整備されていない荒れ野原が広がっている。東京から川崎へ入った途端にこれでは、川崎市のイメージダウンが懸念される。
しかし今のわたしにとって、この枯れすすきこそが用を足すのに最適な環境であり、可能ならば車から飛び降りたい気分だった。
そんなこんなで、道路標識を見ると「海ほたるまで2キロ」という地点まで来た。よし、あと少しで助かる――。
しかし本日は特別な日である大晦日。そう、海ほたるの手前から渋滞していたのだ!
白目の毛細血管が切れんばかりに、見える限りの先頭車両をにらみつける。
どうやら、誘導員が車を数台ずつ招き入れている様子。そのため、20メートル先を左折させられる車が何台かいたが、4台目で止められてしまった。
そしてそのまま、ぐるっと遠回りのコースへと押し出されたのだ。当然、後続車である我々も、遠回りのコースへと誘われたのである。
(まだいける。まだ大丈夫だ・・・)
進んでは止まり、また進んでは止まり、数珠つなぎとなった車の列がノロノロと前進する。そして時を同じくして、わたしの腸の動きも活発になってきた。
手のひらが汗でぐっしょりになったり、額からあぶら汗が出たりすることはないが、それでも確実に便意はわたしを襲ってくるわけで、一刻を争っている。
今ならまだ、平静を装ってトイレへ向かうことができる。急げ――。
ようやく、海ほたるの駐車場へ車が吸い込まれていく段階にたどり着いた。一台、また一台と前の車が消えて行く。
(なぁんだ、余裕だったな)
ゴールが目の前に現れると、急に気持ちがデカくなるのは小物の証。あぁそうだとも、小物で結構。予想より早く「大」を済ませられることに、心の底から安堵しているのだから。
(・・・・・・どけよ、オッサン)
いったいどういうつもりだ。なぜ急に、わたしの前に立ちはだかるのだ。
我々の前の車が駐車場へと吸い込まれた瞬間、誘導していたオッサンが急に道の真ん中に現れて、こちらへ頭を下げるのだ。
どんなに頭を下げられようが、わたしの便意は刻一刻と迫っているわけで、何の意味もない。むしろ土下座をされたところで変わりはない。だからさっさとそこをどいてくれ。
わたしの顔から笑顔が消えた。笑顔だけでなく、すべての表情筋が垂れ下がり、完全なる無表情になった。
駐車場内における混雑緩和のためだろう、何人もの誘導員の姿が目視できる。やりたいことはわかるし、その意味も意義もわかる。だが、わたしの腸はそれどころじゃないんだ!
括約筋に全神経を集中させる。フィジカルモンスターの名に恥じぬよう、いまこそ強靭な筋力を見せつけてやるのだ。
わたしは、全身全霊で肛門を締め続けた。万が一、気が緩んだ瞬間に事件が起きたら大変なことになる。力こそパワーだ、漲れ!!
車内が異臭まみれになるとか、ズボンとパンツの替えがないとか、そういう話ではない。いい年した大人が、いや、長年生きてきた人間として、許されざる行為だからだ。
すると、わたしの魂の叫びが通じたのだろうか。目の前のオッサンが誘導灯を動かし、我々の車へ指示を出した。そして最後に、深々とお辞儀をした。
――おいっっっ!!!なんで上の階へ回されなきゃならないんだよっっっ!!!!
唇がわなわなと震えた。すぐさま車から降りられるように、シートベルトを外しているわたしは、誘導員のオッサンに飛び掛かってやろうかと思った。
だがそんなことをすれば、これまた腹筋を刺激し、逆に括約筋を緩めることになりかねない。ダメだ、大事件になる――。
傾斜のきつい坂道を、わたしを乗せた車がゆっくり上って行く。ほどなくして、またもや5台ほどの車の列が現れた。
しかしその時点で、もはやヒトとしての理性を失っていた。最後尾で停止すると、わたしは無言で車を降りた。そしてゆっくりと、車道を歩き始めたのだ。
一台、また一台と、駐車場へ入れてもらえない哀れな車を追い抜くわたし。そのたびに、車の中から驚きと戸惑いの視線を感じる。
一歩ずつ路面を踏みしめながら、とうとう先頭車両までたどり着いた。
するとそこには、天敵・誘導員が待ち構えていた。
わたしは死んだ魚のような目で誘導員を見る。明らかに動揺した表情で、誘導員もこちらを見る。お互い目を反らすことなく、二人の距離は近づいていった。
(もしも注意されたら、その場で漏らしてやろう。オマエのせいでこうなったんだが、どう責任取ってくれるんだ?!と、大騒ぎしてやろう。こうなったら常識もクソもあったもんじゃない、やったもん勝ちだ・・・)
覚悟を決めた人間というのは、なぜか清々しい気持ちになるもの。今わたしは、青空をふわりふわりと飛び回る、初々しい天使の心境である。
恐れることなど何もない。正にわたしは、無敵の人である!
お互いの手が触れる距離まで近づいたとき、誘導員がふいに目をそらした。
その横顔を、わたしはじっと見つめた。穴があくほど凝視してやった。
だが誘導員は、次の車を呼び込むべく誘導灯を振り回し始めたのである。
(・・・勝った)
こうしてわたしは、やや前傾姿勢で正面を見つめながら、すべての力を括約筋に集中させて、股ずれを起こしたデブのような歩き方でトイレへと向かった。
――勝った、わたしは勝ったんだ!!!
*
こうして、大晦日の戦いに勝利したわたしは、誇らしい気持ちで新年を迎えたのである。
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