大晦日の「大」勝負

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昨日のことだから昨年のことになるが、2022年大晦日の昼下がり、わたしは大事件を起こしかけた。

日頃からトラブルばかり巻き起こすタイプではあるが、今回に限っては単独事件であり、しばらくの間は表社会に出られない可能性すらある「大惨事」となるところだった。

 

とにもかくにも、未遂で終わって本当によかったとしか言えない。ではいったい、わたしはどんな大事件を起こしかけたのか?

 

――なんと、「大」を漏らしかけたのである。

 

曲がりなりにも女子の端くれが、このようなお下品なエピソードを発信するなど、普通の人間ならば正気の沙汰とは思えない。

だが、このような話ができるということは、これすなわち「漏らしていない」ことを意味する。

失敗していないことを裏付ける最大の方法が、ギリギリセーフの成功談を語るということであり、例えるならば「勝者の流儀」とでもいおうか。

 

ならば聞かせてやろう、大晦日の熱き戦いについて!

 

 

(・・・まずい、「大」をもよおしてきたぞ)

 

首都高を走りながら、わたしは微かな不安に襲われた。急激な症状ではないが、さっきからなんとなく腸の様子がおかしい。

助手席に座るわたしは、この辺りにパーキングエリアがないことを承知しているため、運転手に対して便意を催していることを告げなかった。

 

当たり障りのない会話を続けるうちに、緩やかな便意の波が二度三度と通り過ぎていく。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるのだ。問題ない、わたしの精神力を舐めるな。

 

木更津方面へ向かうわたしは、東京湾アクアラインへと向かっていた。

無論、外の景色を楽しむ余裕などない。頭の中で意味不明な数字をかぞえることで、腸に意識がいかないように配慮するのが精一杯。

それでも、川崎浮島ジャンクションを通り過ぎたあたりで、不測の事態を恐れたわたしはそれとなく呟いた。

 

「トイレにでも寄っておこうかなぁ」

 

緊急性はなく、まぁパーキングエリアでもあればちょっと立ち寄ろうか、くらいのノリを強調して伝えた。

そのついでに窓の外を見ると、まるで整備されていない荒れ野原が広がっている。東京から川崎へ入った途端にこれでは、川崎市のイメージダウンが懸念される。

しかし今のわたしにとって、この枯れすすきこそが用を足すのに最適な環境であり、可能ならば車から飛び降りたい気分だった。

 

そんなこんなで、道路標識を見ると「海ほたるまで2キロ」という地点まで来た。よし、あと少しで助かる――。

 

しかし本日は特別な日である大晦日。そう、海ほたるの手前から渋滞していたのだ!

 

白目の毛細血管が切れんばかりに、見える限りの先頭車両をにらみつける。

どうやら、誘導員が車を数台ずつ招き入れている様子。そのため、20メートル先を左折させられる車が何台かいたが、4台目で止められてしまった。

そしてそのまま、ぐるっと遠回りのコースへと押し出されたのだ。当然、後続車である我々も、遠回りのコースへと誘われたのである。

 

(まだいける。まだ大丈夫だ・・・)

 

進んでは止まり、また進んでは止まり、数珠つなぎとなった車の列がノロノロと前進する。そして時を同じくして、わたしの腸の動きも活発になってきた。

手のひらが汗でぐっしょりになったり、額からあぶら汗が出たりすることはないが、それでも確実に便意はわたしを襲ってくるわけで、一刻を争っている。

 

今ならまだ、平静を装ってトイレへ向かうことができる。急げ――。

 

ようやく、海ほたるの駐車場へ車が吸い込まれていく段階にたどり着いた。一台、また一台と前の車が消えて行く。

(なぁんだ、余裕だったな)

ゴールが目の前に現れると、急に気持ちがデカくなるのは小物の証。あぁそうだとも、小物で結構。予想より早く「大」を済ませられることに、心の底から安堵しているのだから。

 

(・・・・・・どけよ、オッサン)

 

いったいどういうつもりだ。なぜ急に、わたしの前に立ちはだかるのだ。

我々の前の車が駐車場へと吸い込まれた瞬間、誘導していたオッサンが急に道の真ん中に現れて、こちらへ頭を下げるのだ。

どんなに頭を下げられようが、わたしの便意は刻一刻と迫っているわけで、何の意味もない。むしろ土下座をされたところで変わりはない。だからさっさとそこをどいてくれ。

 

わたしの顔から笑顔が消えた。笑顔だけでなく、すべての表情筋が垂れ下がり、完全なる無表情になった。

駐車場内における混雑緩和のためだろう、何人もの誘導員の姿が目視できる。やりたいことはわかるし、その意味も意義もわかる。だが、わたしの腸はそれどころじゃないんだ!

 

括約筋に全神経を集中させる。フィジカルモンスターの名に恥じぬよう、いまこそ強靭な筋力を見せつけてやるのだ。

わたしは、全身全霊で肛門を締め続けた。万が一、気が緩んだ瞬間に事件が起きたら大変なことになる。力こそパワーだ、漲れ!!

 

車内が異臭まみれになるとか、ズボンとパンツの替えがないとか、そういう話ではない。いい年した大人が、いや、長年生きてきた人間として、許されざる行為だからだ。

 

すると、わたしの魂の叫びが通じたのだろうか。目の前のオッサンが誘導灯を動かし、我々の車へ指示を出した。そして最後に、深々とお辞儀をした。

――おいっっっ!!!なんで上の階へ回されなきゃならないんだよっっっ!!!!

 

唇がわなわなと震えた。すぐさま車から降りられるように、シートベルトを外しているわたしは、誘導員のオッサンに飛び掛かってやろうかと思った。

だがそんなことをすれば、これまた腹筋を刺激し、逆に括約筋を緩めることになりかねない。ダメだ、大事件になる――。

 

傾斜のきつい坂道を、わたしを乗せた車がゆっくり上って行く。ほどなくして、またもや5台ほどの車の列が現れた。

しかしその時点で、もはやヒトとしての理性を失っていた。最後尾で停止すると、わたしは無言で車を降りた。そしてゆっくりと、車道を歩き始めたのだ。

 

一台、また一台と、駐車場へ入れてもらえない哀れな車を追い抜くわたし。そのたびに、車の中から驚きと戸惑いの視線を感じる。

 

一歩ずつ路面を踏みしめながら、とうとう先頭車両までたどり着いた。

するとそこには、天敵・誘導員が待ち構えていた。

わたしは死んだ魚のような目で誘導員を見る。明らかに動揺した表情で、誘導員もこちらを見る。お互い目を反らすことなく、二人の距離は近づいていった。

 

(もしも注意されたら、その場で漏らしてやろう。オマエのせいでこうなったんだが、どう責任取ってくれるんだ?!と、大騒ぎしてやろう。こうなったら常識もクソもあったもんじゃない、やったもん勝ちだ・・・)

 

覚悟を決めた人間というのは、なぜか清々しい気持ちになるもの。今わたしは、青空をふわりふわりと飛び回る、初々しい天使の心境である。

恐れることなど何もない。正にわたしは、無敵の人である!

 

お互いの手が触れる距離まで近づいたとき、誘導員がふいに目をそらした。

その横顔を、わたしはじっと見つめた。穴があくほど凝視してやった。

だが誘導員は、次の車を呼び込むべく誘導灯を振り回し始めたのである。

 

(・・・勝った)

 

こうしてわたしは、やや前傾姿勢で正面を見つめながら、すべての力を括約筋に集中させて、股ずれを起こしたデブのような歩き方でトイレへと向かった。

 

――勝った、わたしは勝ったんだ!!!

 

 

こうして、大晦日の戦いに勝利したわたしは、誇らしい気持ちで新年を迎えたのである。

 

Illustrated by 希鳳

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