(うーん・・打った直後から明らかに、筋肉が動かなくなってるんだよな)
顔面にプスップスッとA型ボツリヌス毒素を打ち込まれながら、わたしは内心そう呟いた。いったい何をしているのかというと・・そう、かの有名なボトックス注射をしている最中なのだ。
「ボトックス」という名称を聞いたことのある者は多いだろう。これは”A型ボツリヌス毒素(Botulinum neurotoxin type A, BoNT-A)”というもので、毒の影響で神経と筋肉の連携を断ち切り、筋肉の収縮が妨げられた結果、周辺部位のシワを消すことができるもの。そして言わずもがな、たくさんの女性の笑顔を守ってきた素晴らしい毒素なのである。
余談だが、巷で耳にする「表情筋を鍛えることで、シワ予防に役立てよう!」というキャッチフレーズ、あれは完全に相反する内容なので気を付けてもらいたい。筋肉が動くことでシワを誘発するのだから、表情筋を鍛えれば鍛えるほどシワはできやすくなる。
もちろん、素敵な笑顔や表情を作ることは大事なので、表情筋を鍛えることが間違っているとはいわない。ただ、シワ予防としては全くの逆効果となるので注意が必要・・ということだけは、念を押して伝えておこう。
話をボトックスに戻すが、このA型ボツリヌス毒素により、神経伝達物質であるアセチルコリンの放出を止めることで筋肉への信号が遮断された結果、対象の筋肉が動かなくなる・・という仕組みというか作用は、可逆的であるため効果は半永久的とはいかない。持って数カ月なので「もっと長く持続すればいいのに・・」と残念に思うヒトは多いだろうが、これはある意味”安全性が高い証拠”でもある。
もしも「一生、元に戻らない」と言われたら、そんな恐ろしいことはない。仮に、思った以上に筋肉が動かなくなり、それこそ無表情な顔面になってしまったら、もはやシワどころの話ではなくなる。笑うことも怒ることもできず、ただただ能面のような表情で一生過ごさなければならない・・などという後悔をしないよう、長くても3か月程度で神経伝達は再開されるのでご安心あれ。
ところで、このA型ボツリヌス毒素の効果が発現するのは「およそ1週間後」と言われている。神経終末から取り込まれたA型ボツリヌス毒素が、SNAREタンパク質を切断しアセチルコリンの放出を停止させて、最終的に筋肉が弛緩する・・というプロセスに至るまでには、最低でも数日はかかるからだ。
だがわたしは、毒素を注入した直後からみるみる筋肉が動かなくなるのを感じていた。しかもこれは今に始まった話ではない、昔からそうなのだ。そして、医療用のボトックス注射は局所の神経終末から徐々に作用するため、どう考えてもワッと一気に広がるはずはなく、もはや不思議を通り越して”異常”なのである。
これがもしも「毒素が口から体内へ入った」のであれば、消化管から血中に吸収されて全身の神経に急速に作用する——すなわち、食中毒のような状態になるわけで、それならば納得できる。
しかしながら、微量のA型ボツリヌス毒素を注射しただけで、驚異のスピードで一連の過程を駆け抜けてアセチルコリンがストップする・・というのは、どう軽く見積もっても受け入れがたい現象といえる。
無論、この話を担当医に告げたところで「そんなはずはないから、気のせいですよ」と一笑に付されて終わるため、当の本人以外は誰にも信じてもらえない「事実」なわけだが。
(そういえば、麻酔が効きにくくて覚めやすいことと関係してるのかな・・?)
ふと思い出したもう一つの真実が、わたしは”麻酔が効きにくくて覚めやすい体質”ということだ。親知らずを抜いたとき、通常の4倍の量の麻酔を打ってようやく痛みを感じなくなったわけで、これはどうやら「代謝の速さ」に関係しているとのこと。
麻酔薬は、肝臓で酵素によって分解されることで効果が切れたり排泄されたりするため、代謝の速さによって持続時間や影響の度合いが変わるのだ。しかもこれは遺伝的なものらしく、言われてみれば母親も、手術の途中で麻酔が切れて医療過誤の被害にあった過去がある。
(要するに、なんでもかんでもすぐに分解する酵素を持ってて、そのせいで麻酔が効かない&すぐ切れるってことか・・)
よくよく考えてみると、こういった”ある種の異常”は麻酔だけではない。眼底検査の際に散瞳をするが、瞳孔が開くスピードもとんでもなく速いのだ。あっという間にガッツリ開いて、しばらくするとすぐに閉じ始める・・なぜかわたしは、生理学的な反応が速いあるいは強いのだ。
A型ボツリヌス毒素に対しては神経ブロックが速攻で効くし、麻酔薬に対しては酵素による代謝が強すぎて麻酔薬を分解してしまうし、散瞳薬に対しては神経受容体が敏感で即反応する——なんていうか、特異体質性の薬物反応的なものなのか。
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まぁ、悪魔の白い粉(砂糖や小麦粉)と果物だけで、このような強靭なフィジカルが誕生するというのも、冷静に考えてみればおかしなことである。
この際、わたしから新たな何かを発見することで、この世にせめてもの爪痕を残そうじゃないか・・などと企む深夜なのであった。
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