久しぶりに新宿・歌舞伎町へと足を運んだ。
学生時代、コマ劇近くの居酒屋でアルバイトをしていたのだが、突如発砲音が鳴り響いたり、暴力団同士のぶつかり合いを目撃したりと、まるで任侠映画の世界がそのまんま広がっているかのような街だった。
それにしても、歌舞伎町という場所はどうも好きになれない。
江戸東京博物館によると、第二次世界大戦後の復興計画の際に、「銀座や浅草のような庶民的な演劇・娯楽センター」として、歌舞伎劇場などの建設を予定。しかし計画がとん挫したため、歌舞伎町という名称だけが残ったのだそう。
とはいえ、日本を代表する繁華街として膨れ上がったことは事実であり、現在に至ってもその名は健在である。
そんな歌舞伎町は今ではかなり小綺麗になっている。まだまだ当時の面影はあるが、それでも建物の外観はどこも新しくなっていた。
だが未だに懐かしさが残るのは、大小さまざまな路地だった。
昭和前半から栄えていただけあり、厳密な区画整理なしに発展してきた、新宿東口エリア。そして、中途半端な位置に建設された西武新宿駅や大ガード付近は、なんとも歩きにくくて仕方ない。
さらに歌舞伎町内には細い路地が多数存在する。そしてボコボコに盛り上がった路面がそのまま放置されているあたりは、らしいといえばらしいのだが。
そんな、外ヅラだけ新しくなった昭和臭漂う歌舞伎町の、とあるビルへと私は向かった。ビルの一階にはカラオケ店の看板が見える。
(たしかあの当時も、ここはカラオケ店だった気がする)
ネオンや外観は変わっているが、この店のオーナーは意地でもカラオケ店の看板を守り続けてきたのだ。時代は流れても、あの頃と変わらぬ佇まいが残っていることに、薄っすら郷愁を覚える。
会食の場所は同ビルの6階にある火鍋料理店。中国風しゃぶしゃぶといったところか。
ご多分に漏れず一分ほど遅刻をした私は、エレベーターを降りると急いで店内へと駆けこんだ。すると店員が私を制止し、来店人数を尋ねた。
「待ち合わせだから、大丈夫」
クライアントとの待ち合わせに遅刻をしているわけで、こんなところで悠長に時間をつぶすことは許されない。さらに店内は見渡せるほどの広さであり、待ち人をすぐにでも探せるだろう。
強引に入り口を突破した私は、左右をキョロキョロ見回しながら店の奥へと進んでいった。そして壁に突き当たった。
(おかしい、居ないぞ・・・)
着席する客の顔は全員確認した。にもかかわらず、私の仲間とクライアントは見当たらない。
「您有预约吗?」
若い店員が話しかけてきた。話がややこしくなるのを恐れた私は、コクリと頷くと再び店内を見渡した。
「几位?」
再び同じ店員が質問してきた。店内が騒々しくて、何を言っているのかわからない。だがとりあえず、私は「大丈夫」という意思表示のつもりで、相手に向かってパーを出した。
言い換えるとそれは「5」を示したことになる。
すると彼女はインカムで誰かに連絡をとっている。そしてすぐさま、中国語で私に何かを尋ねた。それに対して何も答えない私を見て、
「日本語ワカリマスカ?」
と、面白い質問をぶつけてきた。これに対して「ウン」と頷くと、今度は入り口まで連れ戻され、「5名のお客様は、まだ来ていません」と説明された。
(そんなはずはない。もうすでに店内にいると、メッセージが届いているのだから)
店の入り口には大勢の客がたむろしており、なぜか私も列に並ばされる。
隣の列からは日本人グループの会話が聞こえる。
「やっぱ辛いんかな?」
「大丈夫っしょ」
火鍋だから、基本的には辛いものだろう。だがスープは何種類か用意されているはずなので、辛いのが苦手な人は白湯スープでも選べばいい。
そんなことよりも、私はクライアントを待たせている。一刻も早くテーブルへと連れて行ってもらいたいのに、なぜこの列に並ばなければならないのだ。
最後尾に私を置くと、新たな担当者に何かを告げて去って行く女性店員。するとすぐさま、列を担当する男性店員が話しかけてきた。
「请问您贵姓?」
ピンときた私は、すかさずこう返した。
「不是中国人」
すると慌てふためく中国人店員。そして拙い日本語で、「オナマエワ ナンデスカ?」と尋ねてきた。それと同時に、店内から友人が現れた。あまりに遅い私を迎えに来たのだ。
(つまり私は、中国人の列に並ばされたのか・・・)
先日は、韓国料理店で韓国人から「台湾人」だと決めつけられ、本日は火鍋専門店で中国人から「中国人」に間違われた。日本に居ながらにして、なぜ、隣国の人間に間違われるのだろうか。
まぁ、火鍋は美味かったので良しとしよう。
※ちなみに、最初の質問は「予約してありますか?」、次の質問は「何名ですか?」、最後の質問は「名前を教えてください」ということで、私は無意識に全て正しい答えを返していたのである。
そこが一番の驚きであり、中国人に間違えられた要因だろう。
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