先輩・後輩の関係性が、言わずもがな明確となる最後の期間といえば、ズバリ高校時代だろう。飛び級や落第などのわずかな特例を除き、一般的には16歳で高校一年生となり18歳で高校を卒業する。
そのため、部活動での先輩・後輩の序列は絶対的なものであり、たった一年の違いにもかかわらず、とても大きな溝というか壁というか、生徒にとっては圧倒的な格差となるのである。
たとえば運動部で、一年生の時点でスタメン入りしたケースを考えてみよう。その後輩はコートの中では平等だが、一歩でも外へ出れば単なる一年生であり、先輩たちの後をいそいそとついていく子ガモとなる。なぜならそれが当たり前であり、恐怖と尊敬のまなざしで先輩たちを見上げることこそが、後輩らの辿るべき道だからだ。
そして自分たちが上級生となったとき、新たに現れる後輩に対して、自らが体験してきた「先輩像」を演じることこそが、先輩となった元・後輩に課せられた任務でもある。
・・このように、先輩風を吹かせてきた"先輩"も、大学や社会へ出れば一気に後輩へと転落する。とくに社会人にとって、先輩風を吹かせられるようになるまでには、それこそ十年単位の月日が必要となるわけで。
さらに企業など組織の一員になると、実年齢よりも職務上のポジションやキャリアで上下関係が構成されるため、自分の息子くらいの年齢であっても、若社長に対してタメ口や偉そうな態度をとることはできない。
また、社長が若くなくても上司が年下であれば、やはり飼い犬のように尻尾を振りながら上司の後を追うわけで、年齢は先輩だが立場は後輩という微妙な関係となるのである。
そしてこれは、柔術の世界においても同じような状況が存在する。
柔術界で重要となるのは"帯の色"である。それによって「偉い・偉くない」が決まるわけではないが、得てして帯色はキャリアに比例することが多い。
たとえば、最上位色である「黒帯」を手に入れるには"平均十年かかる"と言われる。もちろん、毎日練習に通ったり試合で毎回優勝したりすれば、もっと早く昇帯するだろう。だが、社会人が仕事や家庭とのバランスを保ちながら、柔術という競技を継続するのは簡単なことではない。そのため、様々なライフイベントをクリアしながら帯の色も変化していくわけで、黒帯をもらう頃には技術面の向上と同じくらい、人間性の成長をも習得しているのである。
だからこそ黒帯は羨望のまなざしを向けられるわけで、テクニックの練度だけでなく、キャリアの長さと精神面の充実を兼ね備えた存在といえるのだ。
*
「先輩、ブラジリアン柔術っていうのやってますよね?」
久々に会った後輩が唐突に尋ねてきた。「やっている」と答えると、
「そしたら、〇〇って知ってます? 自分の同級生で、柔術やってるって最近知ったんですよ!」
と、目を輝かせながら食いついてきた。"後輩の同級生"とは同じ道場ではないので、直接的な関係はない。だが彼は黒帯の有名人であるため、名前くらいは知っていた。
「あぁ、〇〇さんね。名前は知ってるよ」
——他道場の実力者である黒帯ゆえに、柔術界で知らない者はいないだろう。そこでわたしは、ごく自然に彼の名前を繰り返した。すると、
「え、なんで"さん付け"なんすか? アイツなんて呼び捨てでいいですよ、後輩なんだから!」
と、奇妙な表情でわたしを覗き込みながら、後輩は笑った。
——そう、わたしは日頃から「先輩風を吹かせるタイプ」のため、後輩に対して態度がデカいのだ。もちろん、気前よくランチをおごったりトラブル回避に手を貸したりと、先輩としての役割も果たしている。だからこそ・・というか、その態度が余計に先輩っぷりを助長するのだろう。
そんな"傍若無人の権化"であるわたしが、誰であれ年下を「さん付け」で呼ぶなど、後輩からすると信じられないどころか、「どこか具合いでも悪いのか? いや、なにか弱みでも握られてるんじゃないか?」と疑うほどの奇行なのである。
とはいえ相手は面識のない黒帯。帯下のわたしが、偉そうに呼び捨てなどできるはずもない。かといって、柔術界におけるヒエラルキーについて、業界外の後輩に理解させることは困難を極める。
実際に説明を試みたのだが、
「なにいってんすか? 自分と同い年なんだから、呼び捨てでいいっすよ。ていうか、逆に気持ち悪いっすよ・・」
と、むしろ気味悪がられてしまったのだ。
(後輩もバリバリの体育会系出身だが、やはり学年や年齢での上下関係がデフォルトだったため、帯色によるシステムを理解するのは難しいのだろう・・)
*
どうせなら、大人の部活動における先輩・後輩は「年齢ではなくキャリアで決める」と、ルール化してもらいたいものだ。
コメントを残す