凡人が踏み越えてはならない境界線

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いよいよ11月が終わろうとしている。と同時に、令和5年もラストスパートに入ったわけだ。

・・などという当たり前のことを、毎年同じ時期に同じ気持ちで呟くわけで、そんな自分が相変わらず"つまらない人間だ"と、今年も残念に思っている。

 

わたしは特に面白い人間ではない。ヒトを笑わせることもできないし、SNSの投稿がバズることもない。これといって特技も特徴もなく、大勢でワイワイするのが苦手でむしろ孤独を好んでいる。だからこそ、面白いことを言ってヒトを笑わせたり、面白い投稿でバズったりできる才能が凄いと思うし、心底羨ましいと思うのである。

しかし、そんなつまらないわたしにもちょっとした特技、というか得意技がある。それは「くだらないことを思いつく」ということだ。そもそも、この世のすべてがくだらないと感じているので、そういう意味ではなにを思いついても「くだらない」ということになるが、中でも綴っておきたいほどくだらないことを、こうして毎日ブログの形で生み出しているわけだ。

 

そんなわたしも、まれに「なにも思いつかない日」にぶつかることがある。そりゃあ、1,245日も連続投稿していれば、なにも思いつかない日もあるだろう。・・いや、正確には"ひねり出せば書けないこともない"のだが、とにかく、なにも思いつかないその日が「まさに今日」だった。

 

 

わたしには、何があろうと何が起きようと「毎日、くだらないコラムを書いて投稿する」というルーティンがある。誰に頼まれたわけでもないし、誰かが期待しているわけでもないが、二千字程度のコラムを毎日書き続けることならば、わたしにもできるような気がしたのである。

"毎日続ける"ということは、あまりハードルが高いと挫折してしまう。かといって、文字数の少ない記事では「毎日書いています」などと言うのも憚られる。そのため、最低でも二千字程度の"読み応えのある作品"という条件を自らに課した。

その分、難しい内容や面白い文章というのは捨てることにした・・ではなく、そんな高度な技術も才能も持ち合わせていないのだから、書きたくても書けないというのが本当のところ。

 

では、ある程度のボリュームを毎日読み続けても疲れない内容、といえばなんだろう——。

(・・くだらないことじゃないか?!)

という結論に至ったのである。

 

とはいえ、くだらなければ何でもいいというわけではない。わたしなりにくだらなさを吟味した上で、キーボードに指を載せているからだ。

そして、その「くだらなさ加減」というのが難しいバランスであるのに加え、くだらなくても最後まで読みきってもらうための工夫にも力を入れている。

 

実は一本のコラムを書くにしても、たとえば改行のタイミングや読点・句読点の位置、さらには漢字とひらがなの選択、そしてパラグラフの塊をブロックに見立てて、ビジュアル的にも"いい塩梅のテトリス"になるように組み立てている。

そのため、下書きはパソコンで行うが、見直しはスマホとパソコンとの両方で見比べているのだ。なぜなら、読み手の多くはスマホからアクセスするだろうから、スマホで読みやすい形状に仕上げたいからである。

 

「ならば最初から、スマホで作成すればいいのでは?」

・・このような疑問を投げかけられたことがある。だがこれではダメなのだ。

小さな画面で文章を作ったり読んだりしていると、誤字脱字は減るが文章全体の雰囲気が分からないので、読後感が偏りがちになる。また、パラグラフごとのイメージも掴みにくいため、ただただ字面を追い続ける傾向に陥りやすいのだ。

そのため、パッと見のカッコよさも含めて、スマホとパソコンと両方で確認しながら仕上げるのがベターなのである。

 

一本のコラムでもこのような配慮をしているわけだが、その次には十本のコラム、百本のコラム、はたまた千本のコラムのバランスというのも、実は気にしているわたし。

たとえば、連日同じような"くだらなさレベル"の記事を投稿するのはNGとしている。これは食事に置き換えると分かりやすいが、連日同じメニューではいくら美味くても飽きがくる。むしろ、素朴な味をちょっとずつ変えるからこそ、作る側も食べる側も毎日楽しめるのだろう。よってコラムも同様に、日替わりメニューで繋げていくと決めていた。

 

——だからこそ、今日書くべき内容が思いつかなかったのだ。

 

絞り出せば書けないことはなかったが、それでは前日からの流れを歪めてしまうため、なんとかして毛並みの異なるコラムにしたかった。

だがそんな願いも虚しく、少ない脳みそを捻りあれこれ画策するも、深夜3時を迎えた今でも妙案は思いつかない。かといって三年四か月もの間、粛々と積み重ねてきた"くだらない話"を、ここで途切れさせるわけにもいかない・・。

というわけで、何も思いつかない苦悩を綴ることにしたわけだ。まぁ、いわば「言い訳と屁理屈」をつらつらと並べただけなのだが。

 

 

秀でた才能などなくとも、凡人だって十分に「なにか」を生み出し刻むことができる。そのためにも、とにかく背伸びをしないこと、そして無理をしないことこそが、凡人が守るべき境界線なのではないかと思うのである。

 

サムネイル by 希鳳

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