目切坂で見送った"背中"の違和感

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「申し訳ありません、この先通行止めなんです・・」

わたしを乗せたタクシーが、槍ケ先の交差点からすぐの代官山交番を左へ曲がろうとしたところ、交通整理員に止められて通行止めの説明を受けた。——どうやら、この先で何らかの工事が行われている様子。

交番を左折すると、目切坂(めきりざか)という一方通行の坂道がある。江戸時代、この近くに石ウスの目切りをする腕のいい石工である伊藤與右ヱ門が住んでいたことから、「目切坂」という名前がついたのだそう。そんな歴史ある坂道を代官山から目黒方面へと下った先に、わたしの訪問場所があるのだ。

 

「一体いつまでやってるんだ、いい加減にしてくれよ!」

見た目は穏やかな白髪の紳士・・という感じの運転手が、辛抱ならずに声を荒げた。どうやらこの工事はここ最近ずっと行われていたらしく、恵比寿方面から中目黒へ抜けるための最短ルートである目切坂が閉鎖されていることに、タクシードライバーたちはイライラを募らせていたのだろう。

そして、わたしの目的地は目切坂の終点である西郷山通り沿いにあるため、迂回するとなると1キロ近い距離を無駄に走ることとなる。かといって、およそ250メートルの坂道を歩いて下るのも面倒だし——などと、無精者らしくうだうだしていたところ、

「もうここで降りなさい。わざわざ遠回りする必要なんてない、歩いて降りるほうが早いから」

と、まるでおじいちゃんに叱られたかのように、ピシャリと引導を渡されてしまったのだ。やむを得ない、自分の足で歩くしかないか——。

 

(ちなみに、この時点で集合時刻の5分前だった。無論、あのまま目切坂をタクシーで下れば余裕で間に合ったが、通行止めというアクシデントに見舞われたため、またもや不可抗力による遅刻が確定したのである。要するに、わたしが遅刻を選んでいるわけではない。遅刻がわたしを招いているのだ。)

 

開き直ったわたしは、ガシガシと目切坂を歩き始めた。

まずは右手に、重要文化財である「旧朝倉家住宅」が待ち受けている。近代和風建築の邸宅は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した「朝倉虎治郎」によって、大正8年に建てられた。立派な家屋や土蔵が広大な庭園に囲まれており、四季折々の景観を楽しみながら散策できそうだ。

それからさらに進んでいくと、左手に「東京音楽大学中目黒・代官山キャンパス」が現れてくる。2019年に出来たばかりのまだ新しい大学構内には、これまたオシャレなDEAN & DELUCAのカフェが併設されており、理想的なキャンパスライフが約束されているかのよう。

(あぁ、こんなところで大学生をやり直したいな・・)

 

それにしても、道路周辺の整備が見事になされている目切坂は、ただ歩くだけでも気持ちがいい。おまけに代官山方面からならば下り坂なので、高低差13.4メートルを背中を押されるようにスイスイ進んでしまうのだ。

爽やかな汗をにじませながらランニングをする人、洒落た服に身を包んだ愛らしい犬を散歩させる人、そして授業を終えた若き音大生たち——。人生を謳歌しているであろう幸せそうな背中を見送っていたところ、わたしはとある異物・・というか、違和感満載の"背中"を見送ったのである。

(・・・・え?)

その正体とは、自動車だった。

——いやいや、どういうこと?目切坂は通行止めだから・・と、わたしは代官山交番でタクシーから降ろされたわけで、そのせいで遅刻が確定したのだ。にもかかわらず、なぜわたしの横を食料品を運ぶトラックやワンボックスカーが通過していくのか。

百歩譲って、東京音大へ用事のある業務用車両ならばまだしも、どの車も普通に中目黒駅方面へ向かうべく目切坂を降りてきた感じで、とてもじゃないが特別感も非常感も漂っていない。

 

マジでどういうこと——?

 

 

古き良き日本の情緒漂う目切坂を、感慨深い気持ちに浸りながら歩いていたわたしは、「通行止め」と言われたにもかかわらず通行していた車たちのせいで、なんとも複雑な感情が込み上げてきた。

(・・歩かされた上に遅刻とは、なんという仕打ちだ。下り坂だからまだしも、これが上り坂だったならば、ダッシュで戻ってあの交通整理員に噛みつくところだった!!)

 

どうか、人生にゆとりを——。

 

llustrated by おおとりのぞみ

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