私は脳内に獄門彊(ごくもんきょう)を所持しているわけで

Pocket

 

わたしの誇るべき(もしくは、恐るべき)能力の一つに「忘却力」がある。ちなみに、忘却力・・と一口に言っても、じつは二種類あるのだ。まず一つは、単純に過去の出来事を忘れるだけの忘却——。

「いやいや、そんなの能力じゃないだろ!」

そんな声が聞こえてきそうだが、この忘れ方が度を越えているのだ。よく「昨日の晩飯が思い出せないレベル」などと例えられるが、そんなもんじゃない。ある期間の記憶がすっぽりと抜け落ちるのである。

 

とはいえ、誰しもが昔の記憶は曖昧になりがちだし、「え?そんなことあったっけ?」と、まさかの告白をされることもある。

しかしわたしは、よりによって"過去に付き合っていたオトコの存在を、完全に忘れ去った"のだから驚きなのだ。

 

 

「初めまして」

学生時代の友人らの集まりに参加した時のこと。知らない顔ぶれが散見されたため、とりあえず愛想よく挨拶をしていたところ、何人目かの男性からこう返された。

「なにふざけてんの笑」

(・・・は?)

その初対面の男性は、苦笑いしながら「あ、そういう感じなのね」と困った表情をしていた。——なにが"そういう感じ"なんだよ。

 

その様子を見ていた女友達が、「ちょっと、やりすぎだよ笑」とわたしを小突く。それを受けてわたしは、真剣な表情で友人にこう尋ねた。

「なんの話?」

すると、友人の表情が一変した——あぁ、マジでこいつ忘れてるんだ——そんな呆れ顔でわたしをジッと見つめている。そう、わたしは本当に覚えていないのだ。さっき挨拶を交わしたオトコが誰なのか、皆目見当がつかないのである。

しばらくして、友人が静かに説明を始めた——あのオトコは、あなたの元カレだよ、と。

 

キツネにつままれたようにポカンと話を聞いていたわたしは、必死に記憶の糸を辿った。だが、どんなに脳みそをフル回転させてもあのオトコの記憶は蘇らなかった。かといって、短すぎる付き合いだったとかひどい別れ方をしたとか、そういった事実もないのだそう。ただ単に4カ月くらい付き合って別れた——そんな感じらしい。

(こんな摩訶不思議なこと、あるのだろうか)

顔も名前も知らないオトコと付き合っていただなんて、にわかに信じられない。しかしながら、当人を含む何人もの友人らがその事実を肯定するわけで、さすがにグルになってわたしをハメよう・・というわけでもなさそうだ。ってことは、マジで付き合ってたのか——。

 

・・このような感じで、まさかの忘れ方をするのがわたしの特徴であり、残念ながらマイナスの能力というしかないだろう。これが一つ目の「忘却力」である。

 

 

二つ目の忘却力は、あえて「忘れたいことを忘れる力」だ。忘れたいといっても、必ずしも嫌なこととは限らない。幸せなことも嬉しいことも、どんなことでもわたしは忘れ去ることができる。

無論、思い出そうとすれば簡単に引っ張り出せるが、あえて思い出さないように思考をコントロールすることができる・・というのが、適切な表現かもしれない。

 

「何かに集中したり没頭したりして、いつの間にか忘れるんでしょ?」

よくこのように聞かれるが、それは違う。ほかのことで気を紛らわせるのと、忘れる又は思い出さないように思考をコントロールするのとでは、意味も結果もまったく異なる。——気を紛らわせたところで、ふとした瞬間に記憶は蘇るわけで、それでは意味がないからだ。

かといって、忘れたいこと又は思い出したくないことを必死に「忘れよう」とすれば、より深く記憶に刻まれるため一層忘れられなくなる。ではどうやったら記憶や意識から抹消できるのか——。

 

この方法を生理学的に説明したかったが、わたしの浅識では残念ながら叶わない模様。ただ、考えないようにしよう・・と思うと、脳内にある強固で闇深い箱—— いわゆる獄門疆(ごくもんきょう)に封印することができるのだ。

そして、獄門彊のフタを閉めた瞬間にわたしの思考も停止し、それ以降、意識がそちらに向くことはない。要するに、再び獄門彊の封印を解くまでは、永遠に思い出すことはないのである。

 

 

このように便利(?)な忘却力を兼ね備えたわたしは、今日も見事に忘れていくのであった。

まぁ実際のところ、なにかを忘れたからといって人生が終わることはない。仕事の予定や大切な用事はスケジュールアプリで管理しているし、誰かのことを忘れたとしてもまた新たに記憶を作ればいいだけのことだから——。

 

Illustrated by 希鳳

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です