山手線の優先席に、十代後半と思しき女子が座っていた。車内は満員ゆえに、優先席を必要とする乗客がいない限りは、誰でもいいから座ってもらいたい・・と考えるわたしは、その光景を見てもなんとも思わなかった。
たまに「若者が優先席なんぞ座るもんじゃない!」などと嫌味を言う老人もいるが、その若者が実は妊婦だったり、あるいは身体に障害があったり、そうでなくても体調が悪い可能性だってあるわけで、見た目だけで判断するのは大いに間違っている。
加えて、満員電車であれば少しでも空間を確保したい・・というのが乗客全員の願いであるため、誰でもいいから空いているシートを埋めてもらいたいのである。
ところが・・というか、優先席に座るその可愛らしい女子は、なぜかおかしな方向へ上体を向けて座っていた。スマホ越しに彼女の動向を確認すると、さっきからずっとわたしを通り越した先を見ながら、変顔を連発しているではないか。
いったいなにをしているんだ?!と、チラッとその方向に目をやったところ——そこには、生まれて間もない赤ん坊がいたのだ。ぷくぷくの赤ん坊は、母親の肩越しにこちらを見ていた。とはいえ、乳児の目がどれほど見えているのか分からないので、とりあえず顔が向いている方向をジッと見つめている・・という感じなのだが。
つまり、若い女子は赤ん坊の顔を見ては、ニコッとしてみたり口を尖らせてみたり、赤子が喜びそうな表情を繰り返していたのである。
(もしかして、この子も妊婦なのかな・・)
あまりに必死に赤ん坊を見つめる女子をチラ見しながら、わたしな内心そんなことを思った。座っているから分からないが、もしかするとお腹がふっくらしているのかもしれない——。
いまどき若いお母さんは珍しくないし、むしろ喜ぶべきことだろう。差別だのなんだのケチをつける人間はいるが、若いうちに子どもを産んだほうがいい・・という事実は明白であり、そう声高に発言できる世の中に戻ってほしいわけで。
そんな微笑ましい様子に目を細めながら、わたしは赤ん坊と母親のほうを見た。母はベビーカーを携えており、それだけでオトナ二人分を占領している。とはいえ、赤ん坊を抱きながらベビーカーを畳むことは困難だし、なによりも満員の車内で身動きすらとれないのだから、周りの乗客から白い目で見られようがどうしようもないのだ。
おまけに、優先席まではやや距離があるため、ベビーカーも引き連れて移動するのは至難の業。となると、このままジッとしているのが得策なのかもしれない——。
ドアにもたれかかることも、手すりやポールに捕まることもできない位置に立っている母親は、ベビーカーで重心をとりつつバランスを保っている様子。まぁ、いざとなったらこのわたしがガッチリ支えてあげるから、大きな事故につながる恐れはないのだが。
とその時、優先席に座っていた女子が立ち上がった。次の駅で降りるのかな・・と思い、それとなく顔を見たところ、訴えかけるような眼差しでわたしを見つめていた。
「あ、あの・・・」
そう言いながら、赤ん坊を抱いた母親の背中を指さす女子。あぁ、なるほど・・そういうことだったのか。
そこでわたしは、母親の肩を叩くと「席が空くから、座ります?」と小声で尋ねた。すると母は「いえ、大丈夫です。ありがとうございます・・」と、斜め右(わたしがいる方)に首を回しながら答えた。
(・・まぁそうだよな)
この状況で、仮に母がどれほど座りたいと思っていたとしても、こちらへ振り向くことすらできないほどのギュウギュウ詰めで、ベビーカーを動かしてまで優先席に座ることはないだろう。むしろ、乗客の間に挟まってなんとなく安定している今を、もう少し維持したいと考えているのかもしれない。
わたしは優先席の女子に向かって「大丈夫だから座ってていいよ。ありがとう」と告げた。女子は真っ赤な顔のままうつむくと、静かに着席したのであった。
*
公共交通機関、しかも指定席などの制度がない車両では、車内の一部を占有することは認められない。とはいえ、白杖を持っていたりベビーカーを押していたり、優先席への誘導がベターと思われる乗客がいれば、必然的に道が開けるのは当たり前のこと。ところが、混雑状況によっては優先席へ無理矢理移動させることのほうが、困難かつ迷惑となる場合もあるのだ。
先日、全盲の女性に席を譲ろうとしたところ、「次で降りるから、立ってるほうがラクなんです」と言われたことを思い出した。たしかに、目が見えなければ立ったり座ったりするだけでも不安であり、なるべく動かないほうがむしろ安心できるのかもしれない。
目が見えて手ぶらな乗客からすれば、「とにかく優先席へ座ってもらわなければ!」と思い込みがちだが、当事者の身になると、必ずしもそれを求めているわけではない・・ということを教わる出来事だった。
とはいえ、あの可愛らしい女子のけなげで漢気溢れる行動は、わたしの汚れた心を洗い流してくれた。そして赤子を抱いた母も、きっと感謝で頬を染めていただろう。
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