食欲がなくなった乙だが、あと少しで誕生日を迎えるわけで

Pocket

 

「乙がドッグフードを食べなくなりました」

母からのLINEを読んで、いよいよか・・と覚悟を決めたわたしは、急遽実家へ向かった。昨年末に鼻腺癌が発覚してから8カ月が過ぎようとしているが、抗がん剤との相性もよかったため、まさかの半年越えを達成したフレンチブルドッグの乙は、あと少しで13歳を迎えようとしている。

 

フレンチブルドッグの平均寿命は10歳から14歳といわれており、その数値からすると乙は長生きをしている部類といえる。しかも、今年の初めまでは「乙は11歳」と勘違いされていたため、強制的に1歳年を重ねたことでなんとなんく得をした気分でもある。

そもそもなぜ乙の年齢を勘違いしていたのかは不明だが、たまたま目にした血統書を眺めていたところ、

(2011年8月27日生まれということは、今度の誕生日で12歳・・・ん?13歳じゃないか!?)

というわけで、乙は11歳ではなく12歳であることが判明したのである。これがニンゲンならば、サバを読んででも若くありつづけたいわけで、急に「誕生日が一年ずれていました」などと告げられた日には、発狂する女性は多いだろう。

だが、癌に侵されている乙にとっては、"限りなく寿命まで生きられることこそが最高のギフト"であり、少しでも年寄りになることは飼い主にとってこの上ない喜びとなるわけだ。

 

そんな乙だが、癌が発見された当初から食欲だけは衰えなかった。ドッグフードやササミにがっつく姿は、癌患者とは思えないほどの漲る生命力を感じたし、ガブガブと音を立てながら水を飲み干す様子は、まさに健康そのものだった。

とはいえ、栄養のほとんどは癌細胞に食われてしまうのだから、せっかくの食欲が無駄になるのを、なんとも複雑な気持ちで受け止めていた。その証拠に、肩や太もも回りの筋肉はげっそりと落ち、あばら骨と腰の落差はまるでワイングラスのように、驚くほどの幅をみせているわけで。

それでも、どんな状況でもガツガツと飲み食いする乙の姿に、われわれニンゲンは救われていたのだ。

 

これまでも、母から「乙の食欲がないみたいだ」という報告を受けることはあったが、手を変え品を変えあれこあれ試すうちに、「ドッグフードをドライにしたら喜んで食べてくれた」「スイカをあげたらがっついて食べた」「東急のササミをあげたらグイグイ食べ始めた」などなど、一喜一憂する日々が続いていた。

だがここ数日、乙はスイカしか口にしなくなったとのこと。おまけに、右の鼻の穴からはピンク色の腫瘍があふれ出ており、もはや空気は通らないだろう。残された左の鼻の穴も、奥のほうで腫瘍が広がっていれば呼吸は困難となる。そして口呼吸のできない犬という生き物——。

短頭種ゆえに鼻(呼吸器)の病気はつきものだが、同時に麻酔のリスクも高い。それゆえ、腫瘍を切除したり焼いたりするのも命懸けとなる。さらに、手術中に出血多量となれば、もはや助かる方法はないわけで、単純に「腫瘍を切除すればいい」というだけの話ではないのである。

 

年齢のせいもあるが、全身の毛が白くなり痩せ細った猫のような体つきの乙は、わたしを見るなりのそのそと寝床から出てきた。そしてわずかに尻尾を振ると、またフラフラと寝床へ戻って行った。

乙本人ではないので断言はできないが、きっと癌による痛みや怠さもあるだろう。ニンゲンならば「痛い、痛い」と叫ぶこともできるが、犬はそんなことはしない。ただジッと、自分の死期を受け入れるだけで——。

そして今もなお、苦しそうに天を仰ぎながらハァハァと呼吸を続ける乙を見ていると、ただ見守ることしかできない不甲斐なさと残酷さを、ひしひしと感じるのであった。

 

もしかすると、乙とのふれあいは今日が最後になるのかもしれない。加えて、もしもそれが現実となれば、寂しい反面ホッとするのも事実。

なんせ、もう8か月もまともに寝ていない乙が、心置きなくぐっすりと眠れる日がくるのならば、飼い主としては喜ばしいことである。そんな日が来ることを恐れつつも望んでいる、この矛盾する心理こそがニンゲンなのだろうか。

 

 

コーヒーのおかわりをしに台所へ行ったわたしは、乙の様子を見ようと和室のドアをそっと開けた。

グーグーと立派ないびきが聞こえてくるが、それは乙ではなく母から発せられており、乙は相変わらず苦しそうに上を向きながら座っていた。やっぱり眠れないか——。そして静かにドアを閉めようとした時、すぐそこに誰かの足があることに気がついたのだ。

(・・おとんだ!)

なんと、二階で寝ているはずの父が一階の和室に横たわっていたのだ。仰向けに寝転んだ父は、腹の上に点字の本を載せているが、点字に触れている指は止まっている。きっと、読みながら寝落ちしたのだろう。

 

まさかの深夜に、申し合わせたかのように家族が全員集合するという、ちょっとした偶然に笑ってしまった。なぜなら、わたしが実家の門をくぐったのは午前0時を過ぎていたため、父はすでに就寝していた。そして、トイレにでも起きたのであろう父は、乙と母が寝ている涼しい和室でしばし読書をしていたところ、そのまま寝落ちしてしまったものと思われる。

・・そんな事実を知っているのは、今起きているわたし一人。なんとも奇妙な偶然である。

 

 

あと数時間後には東京へ戻るわたしだが、年老いた両親と病に侵された犬の寝姿を見比べながら、感慨深げにその場を去ったのであった。

 

Pocket