「ネコのおしっこのニオイがするね」と言えずに悶々とする私

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いつの時代も、人々はニオイに悩まされ惑わされてきた。その証拠に"お香の歴史"を辿ると、紀元前三千年ころのメソポタミアまで遡ることとなる。

日本香料工業会によると、

人間が香りを利用するようになったのは、火を発見したときからだろうといわれています。

香料が、初めて歴史に登場するのは紀元前3000年頃のメソポタミアです。シュメール人は、レバノンセダー(「香りのする杉」の意。ヒマラヤスギ属)で神への薫香を捧げていました。

古代エジプト人たちは、偉い王様が亡くなると、その亡き骸に香料をたっぷりと塗り、ミイラにして手厚く葬りました。

と紹介されている。その後、ギリシャ時代では入浴後に香油を体に塗る習慣ができたり、科学的医学の祖であるヒポクラテスが「においに病気の治療効果がある」と指摘したり、さらには美食文化を誇る古代ローマの貴族らが、生臭さを消すために香辛料やビネガーを用いるなど、産業や貿易でも大きな発展をみせた。

そして、中世に入ると十字軍の遠征をきっかけに、麝香(じゃこう)をはじめとする東洋の香料が西洋でも使われるようになった。皮革製品のニオイを消す目的で香料が使われたり、石鹸に香料が使用されるようになったりと、フランスを中心に香りの文化は成長していった。

また、16世紀末には「香水」や「オー・ド・トワレ」などが誕生した。フィレンツェ出身であるカトリーヌ・ド・メディチが、アンリ二世との婚姻の際に香水を持参したことで、世に広く知られるようになったといわれている。

 

そんなこんなで、"いい香りを纏うことで、より豊かな生活を送るためのニオイ"もあれば、"クサいものをなんとか中和しようとするためのニオイ"もあるわけで、人類は昔からニオイとともに生きてきたのである。

その上で、わたしは今、友人のバッグから鼻がひん曲がるようなニオイが放たれていることに、驚きを通り越してぶっ倒れそうになっている。——なんだこのツンとした嫌な臭いは。例えるならば・・ネコのおしっこのニオイだ!

 

ネコに限らず動物は、縄張りの主張や異性を引き付ける目的で、いろんなところでおしっこを撒く。単なる排泄行為ではなく、遺伝子レベルでの目的や事情があるからこそ、あれほどまでに強烈かつ消えないニオイになっているのか、さほど嗅いだこともない「ネコのおしっこのニオイ」が、具体的に脳裏に浮かぶからから不思議である。

しかも幸か不幸か、友人は何匹ものネコを飼っており、この異臭の原因がネコの尿であることはほぼ間違いない。

とはいえ、バッグにおしっこをかけられたわけでもあるまいし、なぜここまで強烈な刺激臭を放つのか理解できない。そこでわたしは、友人の目を盗んで携帯用の消臭剤を取り出すと、ネコのおしっこのニオイを放つバッグに吹き付けてみた。

(・・・変わらない)

本人がどう思っているのかは不明だが、ネコを飼っていないわたしからすると、それは単なる"獣の小便のニオイ"であり、まったく受け入れられないわけで——。

 

これが百歩譲って「ネコのニオイ」ならば全然耐えられる。とくにネコはきれい好きのため、ほとんど体臭を感じないからだ。おまけに、牛や豚といった家畜のニオイ(といっても、あれだって糞尿のニオイも混じっているわけだが・・)が嫌いではないわたしは、動物のニオイに嫌悪感を示すことはない。

だが殊に、尿が放つ鋭いアンモニア臭というのは耐え難い。おまけに、「ネコのニオイがするね」ならばまだしも、「ネコのおしっこのニオイがするね」などとは、とてもじゃないが言いにくいわけで・・・。

無論、そのバッグの近くにいなければいいのだから、わざわざ本人に伝える必要はない——といえば、それも一理ある。「教えてあげるほうが、本人のためになるよ」と正義感を振りかざす者もいるが、それこそ"余計なお世話"になり兼ねない場合だってあるし、それを伝えたところでどうしようもない・・たとえば体臭問題で、本人はものすごくケアを施しているにもかかわらず、ニオイがキツイ場合など、言われた当人はどうすることもできずに病んでしまう可能性だってある。

 

実際にわたしは、趣味で取り組んでいるブラジリアン柔術の練習で、とある体臭のキツイ人物とのスパーリングで着ていた道衣を、洗濯しても完全にニオイが拭い去れなかったため泣く泣く捨てた過去がある。

あれはもしかすると、ニオイの記憶が脳に刻まれてしまい、そう思い込んでいただけという節もある。だが当時は、あの鼻を突き刺すような刺激臭がこびりついていて、その事実を忘れるためにも道衣を捨てざるを得なかったのだ。

 

とはいえ、その出来事を本人に伝えることもできない。なぜなら、本人はしっかりとケアをしている様子だったからだ。要するに、不潔が原因のニオイではなく、元来の体臭あるいはなんらかの疾患(しかも治療済み)が原因であると推測できるため、それをあえて畳み掛けるようなことは、わたしにはできないわけで——。

かといって、さすがにその人とスパーリングをしようという気にはなれず、ニオイだけのために練習のチャンスを逃すのは、互いに勿体ない気がする。あぁ、すべてのニオイがいい香りだったらよかったのに——。

 

 

ネコのおしっこのニオイに鼻を曲げながら、これまでに体験した「本人には言いづらい異臭騒動」について思いを巡らせるのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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