脳の10パーセント神話について、誤解だが可能性は秘めていると思う。
1980年代、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズが
「我々は脳の持つ可能性を十分に発揮できていない」
と述べた。
この発言の真意は別として、表面上の意味だけが独り歩きし、
「我々の脳は10%しか使われていない」
と、拡大解釈された。
そして、そのキャッチーでミステリアスなフレーズが世間に広まり、都市伝説と化した。
生物物理学的視点から考察してみる。
脳機能を支える細胞は2種類に大別される。
一つは「神経細胞」で、1千億個以上ある。
もう一つは「グリア細胞」で、1兆個以上ある。
単純に、この比率をもとに神経細胞=使われている脳と定義づけることで、「10%しか使われていない」と解釈された可能性もある。
あとは、アインシュタインがそう言ったから、という説もある。
いずれにせよ、ロマンを感じる伝説だ。
*
MIT(マサチューセッツ工科大学)のEarl K. Miller教授らが、2015年にサイエンス誌に発表した論文によると、
(中略)108個の電極装置を使い、大脳の6つの領域にある2,694個の皮質領域の神経の様子を観察した。
2匹のサルを使った実験で、単純なタスクの指示から、脳内のそれぞれの領域におけるタスクシグナルの反応について記録した。
その結果、部位による依存度に差はあるが、脳全体から神経の活動が確認された。
※私の和訳なので、信ぴょう性については一切不知
つまり、脳はタスクに対する限定的な反応だけでなく、脳全体で活動を続けているということだ。
何かをしていようがしていまいが、脳は常に動いている。
10%しか使われていないわけないだろ、とMITはおっしゃっている。
*
少し前、精神的に崩壊しかけた私。
あのときは、本当にダメかと思った。
自分自身をコントロールできなくなっていた。
本当に、文字が書けなかった。
明日を考えただけで苦しくなり、なんでこんな思いしながら生きないといけないんだ、と、ネガティブな思考に溺れていた。
それでも現実から逃げられなかった。
その結果、過呼吸になり酸欠も併発した。
都心の夜景はキレイだった。
うまく呼吸ができないまま、涙を流しながら、深呼吸にトライし続けた。
ーー私は明日も、まだ居るのかな
十中八九、明日もまだ私は存在するだろう。
そして、こんな思いをしながら生きるくらいなら、逃げればいいと思うだろう。
だが、私は逃げたくなかった。
逃げること以外で、先へ進みたかった。
そして、今がある。
人間というものは「経験」のみが自己を強くする。
経験することで鈍感になる、とでも言うか。
私はもう、同じレベルの状況、ダメージ、失敗では過呼吸にも酸欠にもならない。
それはもしかすると、私の脳使用率が増えたからなのかもしれない。
仮に、これまでは脳の10%しか使われていなかったとしたら、いまは11%使えるようになったのではなかろうか。
そう思うくらい、強く、太々しくなったことを実感している。
*
人間の脳は、未だ解明されていない領域や機能がたくさんある。
それらを見越して、過去の偉人らは
「脳の10%しか使われていない」
と言ったのだろう。
人間の可能性と未来に期待を抱いて。
Illustrated by 希鳳
書くってなんなんだろうね?
ウラベリカの過呼吸は通過儀礼だったのかもしれないね、逃げなかったから通過できた。
私も別の形で通過儀礼を通過したよ、思い切りみっともないやり方だけど。
でも、そのおかげで、おそらく今は脳の12%は使ってるかな笑
(通過儀礼を通過するって、dream a dream、歌を歌う、みたいで面白いね。。)
私は、大したこと書けないから笑
気の向くままに適当に書いてるだけだから、マジで大したことない。
文字にするとちょっと仰々しい感じしちゃったけど、実際は全然(笑
通過儀礼を通過する、っていい表現だね!そのとおりだと思う!