「欠けている」の魔力

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友人がこう言った。

「高須院長の言葉が思い出される」

高須克弥氏はなにを言ったのか。

 

4年ほど前、高須氏は交際相手の西原理恵子氏へ伝えたことがある。顔の整形を懇願する彼女のオペをなぜ拒否するのか。

 

ーーいいですかりえこさん、人は欠損に恋をするんです。黄金率でないもの、弱いもの、足りてないもの、人はそれを見た時、本能で補ってあげようとする。その弱さや未熟さを自分だけが理解していると思う。欠損の理解者になるのですーー

 

「人は欠損に恋をするんです」

この言葉が思い出される、と友人は言ったのだ。私は初めて聞く発言だが、ずばりその通りだと目の覚める思いがした。

 

とある知人について。仕事も頭脳もトップクラスに優秀で完璧だが、たまに見せるかわいらしいデコボコな部分、そのやや至らないところに好感が持てたし、友人にとっては知らない人だが親近感が湧いた、と。だが、当の本人はそれを良しとしなかった。

そんな会話のなかで、友人が呟いた一言だった。

 

高須氏のこの発言、的を射ている。

もしかすると、本当に黄金比率をクリアした顔が好きな人もいるかもしれない。しかし人を好きになるとき、いや、好きになってしまったとき、相手の顔がどんな比率であれ「その顔」が好きなのだ。

本人が気にする「欠点」があるとする。だがその欠点すらも愛おしく感じるからこそ、余計に好きになる。

アニメで人気のキャラクターを思い出しても、ほとんどどこかに欠点や苦手なものがある。だからこそ頑張ってほしいとか、なんとか上手くいってほしいとか、見ている者はサポーター側へと誘導されるのだ。

 

しかしこの「愛らしい部分」を他人に伝えることは非常に難しい。

お互い共通の友人ならば、簡単に「わかる~」となるのだが、いずれかが知らない場合、説明次第では単なる悪口になりかねない。

さらに、話題に登場させられた張本人からすれば、自分の知らないところで勝手に自分の欠点を晒されている、という嫌な気分になるかもしれない。

ーーその根底には信頼や愛情があるのだとしても。

 

ではなぜ、このようなリスクを負ってまでその人のことを他人に話したいのか。

思うに「自慢したい」のだろう。

完全無欠の人間ほど愛せない存在はない。敵か味方かでいうと「敵」。だが、そんな完璧な人間に一筋のかわいらしさを見つけたとき、敵が「味方」に変わる。そして自分だけが知っている隠れた魅力を誰かに知らせたい、その人の素晴らしさを自慢したい、と思うのではないか。

他人の素晴らしさを自慢したところで、どうなるものでもないのだが。

 

しかし誤解を解く、あるいは良い方向に見方が変わる効果が確実にある。

 

ーープライドが高く完璧主義、フランス人形のような顔立ちにゴージャスな衣装を纏(まと)う「理想の美女」といえる友人がいる。ある日、街中で男性に声をかけられた。

「あの、う、うしろ…」

ハッと手を後ろにやると、なんとストッキングの中にスカートの裾が巻き込まれてパンツが丸見え。どうりですれ違う人が目を見開いて振り返るわけだ。しかもその日は気合い十分のティーバック。その時の様子を彼女はこう話す。

「デート中だったんだけど、彼氏がレディーファーストしないからあんなことになったのよ!」

顔を真っ赤にしながらも失敗の矛先を彼氏に向ける、せめてもの抵抗が可愛らしかった。

 

ーー出張で雪国へ行った時のこと。

「足跡を残さず雪に人型をつけたい」

そう言うと、人跡未踏の雪原へ思いっきりダイブした友人がいる。しかしジャンプの際に滑り、目の前の雪面へ顔面から突っ込み、まったく美しくない人型を残した。少し考えれば(無理なことくらい)わかりそうなものだが、一面の銀世界にはしゃぐ友人はそれすら気づかなかった。そんな彼は冷徹で無慈悲、近寄りがたい存在の弁護士だった。

 

ーーこちらも頑固一徹、己の道を貫く実直サラリーマンの友人。若かりしころ、勤務中にエレベーターで一緒になった彼女とキスをしようとした。行き先ボタンを押し忘れてチュッチュしていたところ、マンガの一コマのようにドアが開き上司と鉢合わせ。女っ気もなく仕事一筋と思われていた友人に気を使ったのか、静かにエレベーターのドアが閉じた。

 

ーーメガネの奥には小さくも鋭い眼光。財務で彼の右に出るものはいない、というほどの信頼を集める友人は、資金繰りのスペシャリスト。だが、そんな彼が財を投げ打ってでも応援し続ける女性がいる。天海祐希だ。酒が飲めない友人、にもかかわらず冷蔵庫を開けるとびっしりと詰め込まれたストロングレフルの缶。天海祐希がCMに出ているものは、すべて買い揃えているのだ。

「あ、喉渇きました?」

いそいそとストロングレフルを両手に現れる。いや、仕事中だし。

 

もしも、これら友人の「魅力的な一面」をうまく伝えられなかったとすれば、つまり、本人を含め誰の目も輝かせることができなかったとすれば、それは私の表現力の乏しさでしかない。せっかくの逸材を光らせることなく、無駄に殺してしまったのだから。

 

 

私は完全より不完全を好む。

ましてやそれが私しか知らない不完全だとすれば、この上ない幸せと満足を感じる。

 

飼い犬のフレンチブルドッグは、美しい犬と比べればどう見てもブス。だが、そのブスなところがなによりもチャームポイント。鼻水を垂らしながら白目を剥いていびきをかく姿など、誰がどう見ても美しくはない。しかし不思議なことに、それこそが彼女らしさであり、彼女が愛される所以(ゆえん)なのだ。

 

高須氏の言葉「欠損の理解者になるのです」の意味は深い。そして欠損を知ってしまった人間、愛してしまった人間は、その深い沼から抜け出すことは容易ではない。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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