自分で発したにもかかわらず「おかしな日本語だな」と思うわけだが、これ以外にうまい表現も思いつかないのだから仕方ない。
そして、まるで他人事のような感想ではあるが、嘘偽りない本心であることは念を押しておこう。
「うん、これは間違いなく美味いはずだ!」
美味いはず・・・? そうだ、味に関する感想を述べているにもかかわらず、「はず」とはどういうことか。「美味い」か「そうでもない」かの二択になるはずだが、なぜわたしは「美味いはずだ」と、自信満々に答えたのだろう——。
正解は「味覚も嗅覚も喪失しているから」である。
目の前に並べられた、見るからに美味そうな料理を口へと運びながら、無味無臭のご馳走に舌鼓を打つわたし。そして、シェフお手製の「イチゴのドレッシング」に対する感想を求められた際に、目を輝かせながら答えた感想が"ソレ"だった。
鮮やかな緑が美しい自家栽培のレタスをクッションに、地元で採れた大粒イチゴの輪切りがどっさりと散りばめられた、シンプルで珍しい"イチゴサラダ"に、バルサミコ酢がベースの"自家製イチゴドレッシング"がたっぷりとかけられている。
いずれも新鮮でみずみずしい食感が、奥歯を通じて伝わってくる。フレッシュなイチゴはそのまま食べても美味いが、こうしてシャレたサラダに変身しても美味いわけで、わたしは贅沢を満喫するべくしっかりと咀嚼しながら味わった。
(・・・うん、味がしない。まったく味はしないが、これが美味くないはずがない!)
イチゴもレタスもバルサミコ酢も口にしたことがあるので、およその味のイメージは描ける。そして、レタスのシャキシャキな歯ごたえと、イチゴの引き締まった果肉の舌ざわりを加味すると、美味くない要素などあるはずもないのだ。
よって、「美味い!!」と叫びたい気持ちをグッと堪えて、「美味いはずだ!!」と叫んだのである。
そう、もしもわたしに味覚があれば、このサラダは間違いなく美味い「はず」なのだ——。
次から次へと現れるご馳走に目を輝かせては、すぐさま口へと運んで咀嚼する。そしてその都度、なんの味もしないご馳走に対する感想を述べていた。
「これ、絶対に美味いと思う!」
「あぁ、これは美味いんだろうなぁ・・」
これにはシェフも苦笑いである。なんせ、美味い「はず」という評価しか聞くことができないわけで、これほど無意味かつ無価値な賛辞もないからだ。
すると、シェフが料理ではなく白い錠剤を持ってやってきた。そして静かにわたしの手のひらへとねじ込んだ——ヤ、ヤク!?
それは、直径1センチの亜鉛だった。亜鉛50mgと書いてある。
「これ飲むと、味覚が戻るんだよ」
これまで味覚を失った経験がないわたしは、まさか亜鉛で復活するとは知らなかった。おまけに、シェフ直々に差し入れてくれたヤクを断ることもできないため、覚悟を決めると勢いよく"亜鉛"と書かれた白い錠剤を飲み込んだ。
(・・・む、無味)
まぁ、亜鉛なんてものはそもそも無味に近いのだろう。とりあえず仁義を切ったところで、再びご馳走へと手を伸ばした。
*
そして気がつくと、食後の紅茶が置かれていた。キウイやイチジクなど様々なドライフルーツがミックスされており、カップの底に折り重なるようにして眠っている。
果たしてこれは甘いのか苦いのか、どんな風味なんだろう——。
(・・・む、苦いのか)
そう、これは紅茶だから"茶葉の渋み"を感じるのだ。そしてほんのり甘みが滲み出ているのは、ドライフルーツのエキスなんじゃ・・ん?
わたしはなぜ、この紅茶が「苦い」と分かったのだろう。味覚も嗅覚も失っているはずのわたしが、なぜ味を感じることができたのか。
——まさかの、亜鉛効果!?
なんと、亜鉛50mgを摂取してからたった30分で、わたしの味覚は復活したのだ・・・これほどの即効性があるとは、亜鉛おそるべし。
「えーっと、二週間くらいしないと効果は現れないはずなんだけど・・」
一般的にはそうかもしれないが、わたしに限ってはたったの30分で変化が訪れたのである。個人的には、味覚が戻った喜びよりも亜鉛が人体に及ぼす影響に驚いたわけだが。
(亜鉛のサプリでも買って帰るか・・)
*
やはり食事というのは、味覚あってこその楽しみであり幸せといえる。
そのため、歯ごたえや舌ざわりだけでは美味さを語ることはできない・・ということを、亜鉛のおかげで改めて知ることができた。
ちなみに、亜鉛が豊富に含まれている食材として「牡蠣」や「レバー」が挙げられるが、いずれも苦手・・いや、大嫌いなため、やはりサプリで補うしかなさそうである。
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