二万円で購入した電子ピアノと対面したわたしは、なるほど、その評価の高さに深く感銘を受けた。本物のピアノ同様に88鍵の鍵盤とペダル、そして高さ調整自在のスタンドとヘッドフォンまで付いて二万円とは、信じがたいセットアップである。
さらに、様々な楽器音が収録されているため、およそ130種類の音色が楽しめるのだ。個人的にはリアルなピアノの音だけでいいのだが、せっかくだからパイプオルガンやマリンバ、ティンパニー、琴などの音色でバッハを弾いてみた。
その結果、うるさすぎない音色を選ぶことで、家族に煙たがられずに練習できることが発覚。個人的には、和琴かマリンバ(木琴の一種)がベターであることを突き止めたのである。
肝心の"打鍵"についての感想は、「ボヨンボヨンしている」の一言に尽きるが、だからといって不平不満は一切ない。なぜなら「二万円だから」だ。
「アコースティックピアノの打鍵と同じ、もしくは似ている!」などとは口が裂けても言えないが、そんなのは当たり前である。だって、これは電子ピアノなんだから。それなのに、
「本物のピアノと比べると、鍵盤がフワフワしている」
とか、
「黒鍵を奥のほうで押すと音が出ない」
などなど、不満を述べている購入者の気が知れない。無論、情報提供としてのこれらの発言に嘘はない。だが、だからといって商品の評価を下げることには繋がらない・・ということを強く諭したいのだ。
逆に、低評価を下した者たちに尋ねたいのだが、まさか二万円で「本物そっくりの電子ピアノが買える!」とでも思っていたのだろうか? そうだとしたら、むしろ恐ろしいほどの想像力の欠如に驚くわけで。
たとえば、新車の四輪バギーが80万円だとして、それとよく似た電動カートが2万円で買えるとなれば、当然、それなりの乗り物が届く覚悟で購入するだろう。その「それなり」の中には、スピードが出なかったりすぐに故障したり、使い勝手が悪かったりバッテリーの減りが速かったりと、安価な金額に見合った「それなり」を想定するのが、当然のことだからだ。
にもかかわらず、想定範囲内のスペックを批判するのはお門違いも甚だしい。というか「そんなことも想像できなかったのか」と、むしろ呆れてしまう。
・・そんなこんなで、二万円の電子ピアノは二万円なりの、いや、それ以上の価値を披露してくれた。中でも一番の驚きは、鍵盤を叩く速度によって音量の強弱が明確に表せることだった。まさかここまでメリハリのある音を表現できるとは、予想だにしなかったからだ。
さらに嬉しかったのは、アコースティックピアノで弾けないパッセージは、電子ピアノでも弾けない、という事実が確認できたことだ。つまり、この電子ピアノで弾けるようになれば、アコースティックピアノでも弾けるようになる・・と期待が持てるわけで。
なんせこれは「練習道具」であり、本番の楽器ではない。よって、練習に特化した楽器だと割り切れば、これほどお得な買い物はなかったと断言できるのである。
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「えー、そんなに安いんだ!」
中学校で教師を務める友人が、驚きの声を上げた。彼女が勤務する学校では各クラスに一台、電子ピアノが設置されているのだそう。
しかし、電子ピアノなど頻繁に使用されるものではないため、教室の隅っこで邪魔者扱いされたり廊下に出されたりと、一歩間違うと"粗大ごみの延長"のような存在感なのだそう。
おまけに、そもそも安くない電子ピアノを購入しているため、故障しても廃棄することができず、生徒にも教師にも煙たがられているのである。
もしも、わたしが購入した二万円の電子ピアノを各教室に設置したならば、スタンドを折りたためばコンパクトにまとめられるため、普段の置き場所にもまったく困らない。
おまけに、仮に壊れたとしても清々しい気持ちでサヨナラできるため、生徒にとっても教師にとっても、もちろん学校にとってもいい話となるわけで、これを買わない理由はないだろう。
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というわけで、年始早々お得な買い物をしたわたしは、屁理屈というか粗探しというか、くだらないクレームを付ける輩は、もう少し世の中の仕組みや構造を学ぶべきだ・・と思うのである。
誇張されたセールストークや宣伝文句を鵜呑みにするから、騙されたり欺かれたりする・・ということを、いい加減に覚えるべきである。
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