坐薬と友情

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ーーで、出ない。

 

本日の心配事はこれだ。食事中の人には申し訳ないが、わたしは14時ピッタリに坐薬を打ち込まなければならない。

 

そして坐薬を入れる際、先に「処理」を済まさなければならないことがある。

そう、排便だ。

 

昨夜さつまいもを4本食べ、食物繊維たっぷりでさぞかし快便だろう、と期待していた。

が、

時刻は13時半を過ぎるが、まったく「もよおす」気配を感じられない。これは焦る。

 

 

看護師の友人(男)との昨夜の会話。

 

「坐薬入れるコツってあるの?」

「指の第一関節とか、第二関節が入るくらい深く入れないと、(坐薬が)出てくる人いるよ」

「マジ?!そんな深くまで?!」

 

坐薬初心者のわたしは正直ビビった。そんな未知の世界へ踏み込まなければならないのかーー。

 

ちなみに友人は病棟勤務の看護師で、主に老人担当。排便前に坐薬を入れると、その刺激で便意をもよおす患者もいるのだそう。

ーーそれだけは避けねば

 

しかしこればかりは天に委ねるしかない。なぜなら、肋軟骨を骨折した上にその周辺の筋肉が肉離れを起こしているため、うまく踏ん張れないのだ。

軽く、フンッフンッと気張ってみたところでブツは顔を出さない。

ウォシュレットで刺激するも、効果は薄い。

 

そうこうするうちに時刻は14時を回ってしまった。坐薬のボルタレン(痛み止め)が直腸から吸収されるのにおよそ30分。薬の効果のピークは挿入から1時間。試合の開始は15時。

ーーもはや検討の余地などない。

 

不本意ながらも、わたしは坐薬を体内へと滑り込ませた。

加えて、失敗は許されない。ここは体育館のトイレであり、もし坐薬を落下させようものなら、一巻の終わりだ。

 

友人のアドバイス通り、第一関節過ぎまできっちり押し込み、ニュルッと直腸内へ坐薬を送り込んだ。

 

「そう、食べさせる感じね」

 

友人のセリフがよみがえる。なるほど、たしかにそんな感じだ。

あとはこの刺激により、体内のブツ(便)が外へ出たがらないことを祈るのみ。

 

 

今回、怪我をしてよかったことが2つある。一つは坐薬を入れられるようになったこと。もう一つは看護師と薬剤師の友人から適切なアドバイスを受けられたこと。

 

「坐薬の入れ方」の紙には、指の第一関節まで押し込め、とは一言も書いていない。そのため、括約筋の奥まで挿入しなかった結果、外へ押し戻されてしまうこともあるのだそう。

その点、日々患者へ直腸与薬を実践している看護師からのリアルなアドバイスは、とても参考になった。

「(肛門へ坐薬を)食べさせる感じ」などという感覚を、未だかつて経験したことのないわたしにとって、これは斬新かつ貴重な経験となった。

 

一方、薬のピークがいつなのか、薬剤師の友人が「血漿中ジクロフェナク濃度」のグラフを送ってくれた。

吸収が早い分、消失も早いのかーー。

試合時間に合わせて確実に、ピンポイントで効かせたいわたしにとって、とてもありがたい情報だった。

無論、素人が勝手に判断すべきことではない。あくまで参考程度に。

 

 

しかし、肋骨周辺の骨折で一番堪(こた)えるのは「突発的な笑い」だ。こればかりは防ぎようがないゆえ、本当に困った。

 

年下の看護師の友人が、

「さすがURABEですね」

と、わたしを呼び捨てにした。その直後に、

「さん付け忘れ(笑)ふつーに呼び捨てしてしまった(笑)」

とフォローしてきたのだが、この「呼び捨て」がわたしのツボにハマった。決して先輩を呼び捨てにしない男が、いきなりわたしを呼び捨てしたギャップは強烈だった。

痛むあばらを抑えながら、押し殺すように笑った。もちろん、ものすごく痛いのだが笑いがこらえられないのだ。

「てめー!笑わせんな!!」

声を出して笑えない分、涙をこぼしながら耐えるわたし。

 

そして今日、薬剤師の友人と試合後にパンケーキを食べていたきのこと。コーヒーを飲んでいたわたしは、ほぼ終わりかけの友人の飲み物を見ながら質問した。

「それ、なに?」

「カフェラテだよー。でも、普通のコーヒーみたいなの」

どうみても真っ黒な液体。それは確実にコーヒーだろう。しかもなぜ最初の時点で気が付かないんだ。育ちの良いお嬢さんは、カフェラテがコーヒーであることを疑わないのだろうか。

「ずっとね、変だなと思ってたんだけど、もしかするとこうなのかな〜って」

上品な笑顔でニコニコ答える彼女に、おかしくておかしくて笑いがこらえられなかった。

しかし坐薬を入れてから4時間が経過しており、すでに痛みは戻っている。絶対に笑えない。笑えないけど笑いがこらえられない。

 

その結果、ボロボロと涙がこぼれてきた。

 

わたしはその時思った。人は感情を押し殺すべきではないと。

おかしさに耐えかねたわたしは、笑いをこらえる代わりに涙を流した。ということは、喜怒哀楽の感情を抑えた代償は「涙」なのではなかろうか。

感情を無理に押し殺したところで、その本質は消えない。ならば形を変えてでも発散させなければ、いつまでたっても体内に留まり続けるのではないか。

 

などと真面目なことを考えつつも、笑いが収まるまで静かに涙を流し続けるわたしだった。

 

ーーこの世は予想以上に笑える場面が存在し、日頃それらを気にも留めずに笑っていることに、笑えなくなって初めて気が付くわけだ。

 

 

自然の摂理に反する行動を嫌うわたしは、重力に反する行為を認めない。つまり嘔吐など許すまじき行為なのだ。

この法則からいくと「坐薬を送り込むこと」も許せない行為となる。下から上に遡るわけで。

 

だが今回の件を機に、坐薬のみ、重力に逆らうことを認めることとした。なぜなら、内服のボルタレンと坐薬のボルタレンとでは効果がまるで違うからだ。

内服では肩までしか上がらなかった右手が、坐薬のおかげで頭の上まで上がるようになった。この差は見逃せない。

 

そして前人未踏の「第一関節」を突破したわたしは、もはや坐薬のバディと言える。お互いの信頼関係があってこその、送り込み作業だからだ。

 

(とはいえ、なるべくならタッグを組みたくない相手ではある)

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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