液果爆発事件

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取り返しのつかないこと、というのはごく稀に起きる。そしてそのほとんどは仕事や対人関係など、他人に迷惑をかける結果となる場合が多い。

その上、悔やみきれないほどの罪悪感に苛まれるなど、取り返しのつかない行為自体より、さらに重苦しい負の感情に襲われる。

 

そんな取り返しのつかない事件が、つい先ほど勃発した。

 

たしかに「一抹の不安もなかったのか?」と問われれば、そんなことはない。もしかすると、という僅かな可能性が脳裏をよぎったのは事実。

だが今回に限ってそれはない、という揺らぎない自信が私にはあったのだ。

 

結論から先に言おう。私は、しなびたミディトマトを頬張り咀嚼した結果、運悪く果皮が破れてそこらじゅうにトマトの果汁をまき散らしたのだ。

 

これのどこが「取り返しのつかないこと」なのかというと、システムキッチンと壁との間の、蟻すらも入れないくらいの狭い隙間に、トマトの果汁と種が入り込んだのだ。それを取り除くにはキッチンを解体する以外に方法はない。これこそ、取り返しのつかない事態といえるだろう。

さらには冷蔵庫のドアの内側に付いている、ゴムでできたクッションのシワへも飛んでいき、拭き取ろうとした拍子にシワの奥へと押し込んでしまったのだ。こちらも除去するにはゴムクッションを切り開くしか方法はない。

ほかにも被害を被った物はたくさんある。たまたま置いてあった消臭剤など、プラスティックの檻のような部分の隙間をかいくぐって、なぜかダイレクトに吸い上げ芯に種がくっ付いたのだ。しかも3つも。檻は無傷で、吸い上げ芯がやられるとは、檻はいったいなんのために乗っかっているんだ!と叩き割りそうになったほど。

 

――後悔先に立たず。万が一のことを想定しなかったわけではない。ただ、甘く見ていたのだ。ミディトマトがしなびているから、果汁が飛ぶほどのみずみずしさなどあるはずがない、と決めつけていたのだ。

 

ミディトマトとは、ミニトマトよりも大きく、通常のトマトよりも小さい、中玉のトマトのことをそう呼ぶ(らしい)。つまり、一口で収めるには大きすぎるし、かといって包丁でカットするほどでもない、という中途半端なサイズなのである。

今思えば、包丁で半分に割ってから食べればよかった。繰り返しになるが、こうなることを予想できなかったわけではないからだ。

しかしミディトマトはしなびており、表面に幾重にもシワが確認できた。みずみずしさなどとは程遠い、乾燥した老トマトでしかなかったのだ。そこで私はこう思った。

 

(プシュッと、果汁が飛ぶはずもない)

 

あぁ、なんと浅はかな考えよ!そのおかげでどうだ、キッチンだけでなく着ている服にも、スマホにも、キッチンペーパーにも、ジップロックの束にも、食べかけの食パンにまでトマトの果汁と種が飛び散ってしまったではないか!

拭き取れる物、あるいは洗える物はまだいい。しかしキッチンペーパーは汚れた部分は捨てるしかないし、スマホのマイク部分に侵入した果汁は蒸発を待つしかない。とはいえ果汁は糖分を含むため、水が蒸発するのとはわけが違うはず。であれば水でジャブジャブ濯ぎたいが、いくら防水機能付きとはいえ、不安はある。

 

それよりなにより、キッチンと壁の間に消えていった果汁と種の行方が気になる。念のため、隙間から大量の水を流し込んでみたが、果たしてこの水はどこへ流れ出るのだろうか。床を見るも濡れていない。シンクの下を開けてみるも変化は見られない。では一体とこへ流れ出たというのか。

冷蔵庫のドア内側のクッションについても気になる。いつの間にか腐敗したトマトの種が異臭を放ったりしないだろうか。目視できないだけに、妄想は膨らむばかり。

 

(あぁ、とんでもないことをしでかしてしまった・・・)

 

たかがトマトの果汁、されどトマトの果汁。どんなにしなびていても、青果物を侮ってはならない、ということを改めて思い知らされた深夜なのである。

 

サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)

 

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