「なにこれ、日食みたい」
その発言はあまりに的を射ており、わたしはぐうの音も出ないほど打ちのめされたのである——。
*
一般的に「日食」と聞くと“皆既日食“という言葉を思い出す者が多いだろう。ちなみに日食とは、太陽・月・地球が一直線に並んだ際に、地球から見た太陽の見え方に変化が起こることを指す。具体的には、地球と太陽の間に来た月が、太陽の一部または全部を隠すことで起きる現象で、部分食・皆既食・金環食の三種類に分けられる。
中でも「皆既食」は、太陽のすべてが月によって隠されるため、黒丸(月の影)から放射線状に後光がさす・・という、非常に神秘的な光景が見られる。そしてもう一つの「金環食」は、地球と月の距離が遠いときに見られる現象で、黒丸の周りに金色のリング(太陽)がはまっており、こちらも幻想的で美しいフォルムとなる。
この“ミステリアスな天体ショー“を実際に拝むことができるのは、生きているうちに10回程度。しかも、日本国内では北海道や奄美大島、屋久島、沖縄などが観測スポットとされており、都内でのんびりしながら皆既食または金環食に遭遇できるとなれば、それこそ人生で1回・・多くて2回だろうか。
——そんな、貴重かつ神秘的な現象を連想させる「とあるもの」を、年季の入った大衆中華食堂で作り上げたわたし。無論、日食を狙ったわけではないが、滅多にやらない料理(?)をした結果、なんとも美しい“金環日食“を作り上げてしまったのだ。
(これも、ある種のセンスなのかもしれないな・・)
*
中華食堂にやってきたわたしは、あまりに喉が渇いていたため、炭酸が苦手であるにもかかわらずコーラを中ジョッキで2杯注文した。
(この炭酸で腹が膨れたら、食べ物を頼まずに済むから一石二鳥だ・・)
などと、貧乏人流の満腹術を実践しつつも、定食と餃子を注文した友人の様子を横目で観察していた。
まずは定食から片付けようとしているのだろうか、運ばれてきた餃子が手つかずのまま放置されている——よし、気を利かせてタレを作ってやろう。
焼き肉やお好み焼きの店へ行っても、わたしが菜箸やヘラを持つことはない。どうせ同じ素材をいただくのならば、少しでも美味さを満喫したいわけで、ならばそういうことが得意な者、あるいはわたしよりも適性のある者が行ったほうが、間違いなく良い結果につながるからだ。
だが、餃子のタレ程度ならばわたしにも作れるはず。目の前にある醤油とラー油、そして酢を混ぜ合わせればいいのだろう——。
相変わらず餃子には目もくれず、せっせと白米を搔っ込む友人の姿を確認すると、わたしはさっそく醤油へと手を伸ばした。
最近主流となった密閉ボトル——指で押した分だけ醤油が出る上に、鮮度も保てる樹脂製容器——を掴み、いざ小皿へ注入・・と思ったら、それは醤油ではなくラー油だった。ラベルがまるで醤油の様相だったのだが、よく見ると確かに「ラー油」と書かれているじゃないか。
(別に、どちらを先に入れたところで変わりないだろう・・)
そう思いながらボトルを握りしめたところ、予想以上に勢いよくラー油が飛び出してしまった・・とはいえ大した問題ではない。この大量のラー油に見合うだけの醤油を入れることで、うまく中和させればいいのだから。
そしていよいよ、本丸である醤油のボトルを手繰り寄せた。たしかにラー油よりサイズが大きくて、ひらがなで「しょうゆ」と書かれてある——。気を取り直すと、わたしはオレンジ色の油を馴染ませるべく、醤油の容器を力いっぱい握りしめた。
(小皿になみなみと醤油が注がれているのは、一般的にみるとおかしな光景・・すなわちミスだと思われるかもしれない。だが大は小を兼ねるし、軽くちょんちょんするだけでタレがつくのだから、食べる側にとってもメリットがある。これはすなわち、意外にも成功した・・というわけだ)
勝手な妄想を膨らませつつ、よっぽど不仲なのか一切交わる様子を見せない醤油とラー油に対して、箸を使って強制的にシャカシャカと仲直りをさせてやった。ところが、なぜか不気味なほどまったく混ざり合わないではないか。
(あれ?醤油とラー油って、こんなにも分離するっけ・・・)
過去に見てきた餃子のタレを思い浮かべても、これほど見事に分離していたことはない。しかもなぜか、完璧な二つの円——まるで、トルコの魔除けとして有名な「ナザールボンジュウ」を彷彿とさせる、ミステリアスな美しさを醸し出していた。
どれほど素早くかき混ぜようが、ナザールボンジュウはびくともしない。それどころか、料理ができないわたしをあざ笑うかのように、その大きな目玉でじっとこちらを見つめている——とここで、冒頭の名セリフが登場するのであった。
「なにこれ、日食みたい」
*
言い得て妙、たしかに金環日食さながらの「ラー油の輪っかに醤油の黒い月」が目の前にあった。
今日の今日まで知らなかったが、餃子のタレを作る際にラー油を先に入れるとこうなるのだそう。普通ならば量が多い順・・つまり醤油を最初に入れるため、まさかラー油を先に入れると混ざり合わなくなるとは、思いもしなかったのだ。
次の金環日食は、2030年6月1日に北海道の広い範囲で観測できとのこと。ラー油と醤油による金環日食と実物との違いを、この目で確かめるのも悪くないな——などと、皮肉にも未来への夢が膨らむのであった。
コメントを残す