私にとっての"要所"である、ベーグル店の話。

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住む場所を決めるにあたり、重要な要素がいくつかある。たとえば、東京近郊の一人暮らしならば、駅から近いことや宅配ボックスが設置されていることなどが必須となるだろうし、地方であれば駐車場付きの一軒家で一国の主となるのも一興だろう。

他にも、スーパーやコンビニが近くにあることや、ペットや楽器OKであること、バストイレが独立していることなど、各人の生活の基盤となる"必要な要素"が限りなく満たされている物件を選ぶこととなる。

 

そんな居住条件の中に、「カフェとパン店が近くにある」というのがわたしにとって重要な要素となる。そして、行きつけのパン店であるPanPan堂が閉店してしまってからは、大通りを渡った先にあるMAISON KAYSER(メゾンカイザー)へ足繁く通うようになったわけだが、もう一つ、パンというかベーグルの店が近所にあることが自慢でもあった。

ベーグル店の名前は「MARUICHI BAGLE(マルイチベーグル)」。パンにはうるさいわたしだがベーグルには明るくないため、マルイチベーグルのどこが素晴らしいのかを説明することができない。だが、ここの商品しか食べないのだから、間違いなく美味いのだろう。

 

マルイチベーグルが美味い理由の一つは、店員の生真面目さというか真摯な態度にある。朝5時半から白い湯気をモクモクさせて、大量のベーグルをせっせと作る彼女らの姿を見ていると、そこにある「誠実さ」のようなものがわたしの心を鷲掴みしたのだ。

そのため、他店でベーグルを食べることはない(そこまで好きではない)が、マルイチベーグルだけは毎日食べても食べ飽きないくらいに好物となったのだ。

 

(マルイチベーグルがあるから、今の生活・・というか人生が潤っているんだ!)

 

 

ピアノの練習帰りに、不動前駅近くのパン店に寄ったわたし。自宅の近所ではないが、行きつけのピアノスタジオ近くのパン店というのも、その土地を好きになる重要な要素となる。

(・・お、今日はまだいくつか残っているぞ)

普段ならば"ほぼ売り切れ"というほどの人気店なのだが、今日は時間が早かったせいか選べるほどにパンが並んでいた。そこで端から端まで、すべてのパンを一種類ずつトングでつまむとレジへと持参した。

「あら、お久しぶりですね」

ブーランジェ(パン職人)の母が笑顔で挨拶をしてくれた。店頭に並んでいるパンを全部買い漁る客など、そういないだろう。だからこそ顔を覚えられるのである。

 

——こうしてわたしは、大量のパンを抱えて帰路へとついた。

 

 

(・・あ、客がいない!ラッキー)

マンションの前で、向こうに見えるマルイチベーグルの店内に目を凝らす。普段ならば、ここからでも確認できるほどの長蛇の列が見えるが、今日は奇跡的に人間が居ない。よし、これは行くしかない——。

ガサガサとパンをゆすりながら、マルイチベーグルのドアを勢いよく開けると、案の定、本日のベーグルは完売していた。

 

「あー、いらっしゃーい!」

わたしが"ベーグル単体"を買わないことを承知している店員たちは、ベーグルがゼロであっても笑顔で迎え入れてくれる。なぜなら、ベーグルの間に何かが挟んである「ベーグルサンド」しか、わたしは食べないからだ。

そして幸運にも、サンドが何種類か残っているではないか!

 

マルイチベーグルのサンドは、アメリカのハンバーガー以上に高さがある。野菜や果物、バター、チーズ、チキンやサバなどを、これでもか!というほど分厚くスライスしてぶち込んでいるので、当然ながらものすごい厚み(幅?)となるのだ。

野菜サンドなど15センチを超える高さを誇るわけで、どんなに口が大きく開くヒトでも、さすがに一口で咀嚼するのは無理だろう。これこそがマルイチベーグルの醍醐味であり、食べる側にとっても"アミューズメントパークを満喫するかのような楽しみ"なのである。

 

そして残念なことに、今月末をもってマルイチベーグルは移転することとなった。理由は、地域開発による建物の取り壊しによるもの。とはいえ、同じ港区内への移転なので、通えない距離ではないし、もちろんリニューアルオープンしたら駆けつけるつもりだ。

しかし、わたしにとっての重要な条件の一つである「近所にパン(ベーグル)店があること」が、失われてしまうのも事実。その虚無感といったら筆舌に尽くしがたいわけで。

 

そんな哀愁を帯びた気持ちで、おもわず残っていたベーグルサンドをすべて購入したわたし。その結果、右手にはずっしりとしたベーグルが、左手には大量のパンがぶら下がることとなった。

(・・うぅむ。こんな贅沢もあとわずかだ)

 

——嬉しくも悲しい両手の重みを噛みしめながら、一人自宅へと戻るのであった。

 

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