友人との会話で、「目の付け所がいいな!」と感心する一幕があった。それは、とある中国料理店で注文をしたときのことだった。
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「チュウモンヲドウゾ」
「研修中」と書かれたバッジを胸に付けた、中国人と思われる女性が、注文をとりに我々のテーブルへとやってきた。
見た目では日本人か外国人かは分からないが、注文用タブレットへの入力のスピードや料理の復唱の仕方で、およそ日本人か否かは判断できる。
異国の地で暮らす外国人は皆、心細いに違いない。私が彼女の立場だったら、まずは日本語の難しさに戦慄することだろう。ここはひとつ、分かりやすく料理を伝えてあげねば。
「これと、これを一つずつ」
メニューに載っている写真を指差しながら注文する。これならば「聞き間違い」というケアレスミスを防げるからだ。すると店員は片言の日本語で復唱しながら、タブレットの上で指を泳がせアタフタしている。
友人も同じく何種類かの料理を注文したところ、店員は豚肉と鶏肉を間違えて復唱した。
「ううん、豚じゃなくて鶏ね」
優しくゆっくりと友人が訂正する。
「トリハ、ナイネ」
店員がタブレットから顔を上げると、友人にそう言った。そんなはずはない。友人はこの店の常連で、毎回注文している料理がないはずがないからだ。
「ううん、鶏はあるよ」
笑顔で優しく友人が諭す。店員は「チョトマッテ」と言い残すと、厨房にいる店長らしき人物へ確認をしに行った。そしてしばらくしてから戻ってくると、悪びれる様子もなく
「トリネ」
と言うとタブレットに入力をした。どうやら鶏肉であっていたようだ。こうして一通りの注文が終わると、店員は去っていった。
*
「なんか最近、外国人だとどんな対応でも許せちゃうんだよね」
苦笑しながら友人が切り出す。たしかに最近では、コンビニも飲食店も外国人の雇用率が高い。さらにバーコードやタブレットを導入することで、日本語が不得意でも仕事をこなすことができるようになった。
「失礼な言動や態度でも、外国人だからしかたないか、って思うことが多くなった」
あぁ、それはわかる。日本人が日本語で対応する場合、たとえば態度が悪かったり言葉遣いが適切でなければ、どうしても嫌な気分になる。
「お客様は神様だ」とは思わないが、あえて不快な気分にさせるようなしゃべり方や態度をとる必要はない。最高のおもてなしなんかじゃなくても、とりあえず普通以上の丁寧なやり取りで凌ぐというのが、お互いにとってベターだろう。
さっきの会話でも、日本人が日本語で
「え?鶏はないよ」
などとタメ口で答えたならば、客は驚くと同時に不愉快な思いをするだろう。しかも確認後に謝罪の一つもなく、
「じゃあ鶏ね」
などと言われれば、「こんな店、二度と来るもんか!」となるのが一般的な日本人の感覚である。
それが外国人となると、日本語を覚えるのにも苦労するし、その上で仕事内容まで覚えなければならないわけで、これは多少の無礼があっても理解を示すしかない。
自宅近所のケバブ屋でも、
「ナニ?キャベツ?ソースハ?」
と、パキスタン人がぶっきらぼうに尋ねてくる。私は笑顔で「ミックス!」と答えるが、それを見たとてニコリともしない。そういう民族文化なのかもしれないし、彼自身がそういうタイプの男なのかもしれない。
さらに会計時も、
「770」
と、数字だけを言うのだが、失礼だと感じたことはない。むしろ、正確な金額を伝えてくれてありがとう、といいたいくらいだ。
このように、相手が外国人であれば対応の悪さは水に流せるというのが、日本人のいいところかもしれない。
*
料理を待つ間、私はテーブルに置かれた「モバイル会員になろう!」というチラシに目を通していた。するとなんと、会員になれば今日の杏仁豆腐が無料になるではないか!
しかも、通常420円の杏仁豆腐を「100円で注文できるクーポン」などもある。ということは、まずは会員登録をして無料で杏仁豆腐を食べ、次に100円クーポンを使って杏仁豆腐を食べれば、840円の杏仁豆腐を100円で食べたことになり、非常にお得である。
この作戦を実行すべく、さっそく私は会員登録をした。そして先ほどの店員を呼ぶと、杏仁豆腐を2つ注文した。一つは会員登録の初回限定クーポンを使い、もう一つは100円クーポンで頼みたい、という説明付きで。
すると、日本語が片言の研修中の店員はすぐさまこう答えた。
「ア、ソレハデキナイ。イッカイデヒトツシカツカエナイ」
なるほど、そうだったのか。ならば仕方がない。初回限定クーポンで杏仁豆腐を一ついただくことにしよう。
とくに疑問も持たずに注文を終えた私に、友人が一言。
「普通の注文はたどたどしかったのに、クーポンのルールにはめっちゃ詳しかったね」
と、含み笑いをしながらボソッと述べた。言うまでもなく、研修中の店員の日本語が拙いのは事実でリアル。ただ、クーポンの会話だけがものすごくスムーズに進んだことが、なんというか「皮肉めいた可笑しさ」を感じさせたのだ。
言われてみれば、その通り。会話の目の付け所って、人それぞれで面白いものである。
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