後輩がスパイ疑惑

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——もしかすると後輩は、スパイなのかもしれない。

身長は高いが威圧感はなく、顔面は小さくて可愛らしいが騒がれるほどの美人でもない。おまけに、誰からも好かれるほんわかとしたキャラクターは敵を作らない。

そんな悪目立ちしない存在感こそが、スパイに求められる資質なのである。

 

とはいえ、そんな程度の資質ならばこの世の大部分の人間がスパイになり得るわけで、当然ながらそんな条件だけではない。

ではなぜ、わたしが後輩にスパイの疑いを抱いたのかというと、すぐ近くにいるのに、まるでそこに居ないかのような超自然体の時空間に佇んでいたからだ。

 

これは、身動きせずにじっとしているというような、物理的な静止状態を意味するわけではない。むしろ実際には動いているのだ。今だって、足をばたつかせたりスマホをいじったり、誰もが部屋でするような動きを繰り返している。

それなのに、なぜかわたしは彼女の動きに違和感を覚えることなく、仕事に集中しているのだから不思議である。

 

まさかこいつは、「プロ」なのではなかろうか——。

 

 

わたしは殊に神経質なわけではないが、波長が合わない人間の言動や行動が、そのつもりがなくても引っかかってしまう。

 

話を聞くつもりはなくても聞こえてしまったり、またその内容が支離滅裂で胸糞悪いものだったりすると、他人事なのにイライラが収まらない。そんな存在が近くにいるだけで、耐えがたい不快に襲われるのである。

また、不自然にソワソワしたり妙な動きをされたりすると、これもまた気になって仕方がない。もちろん、そういうときは場所を変えるなど、環境を変える努力をするわけで問題はない。

 

しかし同じ空間にいなければならない状況で、こういった違和感というか異物感を発せられると、それはもう逃げ場がないわけで万事休す。

ましてやそれが我が家で起きた場合、主であるわたしが自宅を空けることなどありえない。とはいえ、宿無しの人間を追い払うほど外道でも極悪非道でもない。

(まぁ一日くらい我慢するしかない。かわいい後輩のためだ・・)

 

そんな覚悟を胸に、わたしは後輩を招き入れたのである。

ある程度の覚悟を決めていたとはいえ、今夜の仕事は半ばあきらめていた。そもそも遠方から友来たるわけで、よもやま話に花を咲かせて夜更かしでもすればいいじゃないか。そして明日、怒涛の捲りで盛り返せばいいわけで——。

 

(ん?あいつ寝たんかな)

 

いつの間にかパソコンに齧りつき、事務作業に没頭していたわたしは、ふと後輩の生存が気になった。そして右を振り向くと、まるで我が家でくつろぐ主のように、ソファにもたれかかりネックピローに頭を預け、充電中のスマホをいじりながら足をブラブラさせる後輩がいた。

わたしは一瞬、ギョッとした。

こんな狭い空間で他人と一緒にいるにもかかわらず、しかもわたしの視界内に潜んでいるにもかかわらず、物音一つ立てずに自然体で居続けることが可能なのだろうか。ましてや、寝ているわけでもじっとしているわけでもないのに——。

 

コッソリと横目で観察を続けると、奴はそこそこ動いていた。むしろ忙しく指を動かし、足をばたつかせ、自由気ままに体勢を変えながらくつろいでいる。まるでそこが自分のテリトリーであるかのように。

それにしても不思議なのは、耳を澄ましても呼吸の音が聞こえてこないことだ。人間なのだから息をしていないはずがない。だが奴の鼻や口からは、呼吸に伴う空気の摩擦音がしないのだ。まるで耳や目で代替しているかのように、エアコンから漏れるモーター音以外は何も聞こえないのである。

 

(なぜだ?生き物から呼吸音がしないはずがない。かといって死んでいるわけでもない。ということは・・・)

 

そこでわたしは、とある一つの可能性について思いを巡らせた。

(もしかして、後輩はスパイの訓練を受けたのではなかろうか)

自ら「スパイである」などと名乗るバカはいない。だが、明らかな違和感というか人間離れしたこの状況は、なんらかの特殊な訓練の賜物としか考えられない。

——そうか、これこそが本物のスパイの実力ってやつか。

 

 

気付くと後輩は就寝したようだ。わたしが用意したソファに横たわり、わたしが用意したタオルケットをまとい、わたしが用意したテンピュールの枕とアイマスクを装着し、かわいらしい口を半開きにしたまま動きが止まっている。

正確には、胸のあたりが上下しているので、呼吸はしている様子。——さすがはプロ、寝ている姿を敵に悟らせないとは、お見事。

 

こうしてわたしは、近くに人間が横たわっているにもかかわらず、その存在を感じることなく仕事を続けるのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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