信じられない事件が起きた。日本では起こりえないというか、まさか海を渡ったアメリカで、わたしのアイデンティティーが認められるとは思いもしなかった。
あぁ、やはりカピバラは世界基準だったのだ!
*
わたしのリュックには、南米のカピバラがくっ付いている。過去に家出をした元祖カピが、異国の友だちを連れて戻って来たのだ。
なぜ「南米のカピ」だと分かったのかというと、カピバラという生き物は南米発祥であり、日本でいうところの寿司と同じくらい南米といえばカピバラなのだ。
さらに、赤黒い毛並みと見るからに強そうなフォルムからも、南米のカピであることは間違いないのである。
そこでわたしは、再びカピバラたちが脱走しないように、それぞれ別のバッグにぶら下げることにした。そしてアメリカへ背負ってきたリュックに付いていたのが、南米のカピだったというわけだ。
日本においては、このリュックで揺れるカピバラに気付いたとしても、誰も何も言わない。「あぁ、カピバラのキーホルダーか」というくらいの反応で、それ以上の追及に繋がることなど皆無。
無論、個人的な趣味嗜好について、他人に強要するつもりもなければ共感してほしいとも思わないわけで、そこからカピバラの話題で盛り上がるはずもない現実を、わたしは十分理解しているし真摯に受け止めている。
だが心の奥底では、カピバラの魅力に気付いていないボンクラどもに、少しでも教えてやりたい気持ちはある。とは言え、あんこ嫌いのわたしに最高級の粒あんを贈るのと同じで、興味のないものやそもそも好みではないものを押し付けられることほど、迷惑で不愉快なことはない。
そのため、とくに誰かにゴリ押しするわけでもなく、SNSを使って淡々とカピバラの啓蒙活動に励む日々を送っているわけだ。
「Twitterで、なんかやたらとカピバラの画像や動画が出てくるんだよね」
多くの友人から嬉しい苦情が届くが、これこそがわたしの狙いであり、サブリミナル効果のようにじわじわとカピバラ愛を芽生えさせる作戦なのである。
今でこそ、温泉に浸かるカピや頭にミカンを載せるカピといった、シュールで愛くるしい映像が発信されるため、そこそこの認知度を誇るようになった。
しかし、ここまでしなければ日本人にカピバラの存在を知らしめることができないわけで、ましてや外国人など論外だろう――。
このように、カピバラについて一抹の期待もせずに訪れたニューヨークで、わたしは正に奇跡と遭遇したのである。
「Oh my gosh! Capybara?!」
まるで叫び声のように「キャピバラ」という発音が響く。そして彼女の視線の先には、わたしのリュックにぶら下がる南米のカピバラがいたのだ。
わたしは一瞬、耳を疑った。まさかピンポイントでカピバラ好きなアメリカ人がいるとは思わなかったからだ。しかし彼女は、革でできたカピバラを真っすぐ見つめ、瞳を潤ませながら手を伸ばしてそっと触れた。
「カピバラが好きなの?」
わたしが尋ねる。
「カピバラが大好きよ!」
彼女が答える。
「わたしも、カピバラが大好きだよ!実際に見たり触ったりしたことある?」
さらに尋ねる。
「ないわ。日本ではそんな簡単に会えるの?」
興奮気味に彼女が食いついてきた。
こうなると日本の魅力というのは、美味しい料理でも歴史ある神社仏閣でもサービス精神あふれるおもてなしでもない。
そう、カピバラを見たり触れたりできる環境が近くにあることこそが、日本の最大の魅力なのである。
すぐさまInstagramをフォローし合うと、さっそく、とっておきのカピスタグラマー(カピバラ専門インスタグラマー)を紹介した。同時に、カピバラの秘蔵映像をシェアするなど、海外においてもカピ活を怠らないわたし。
するとまた別の女性がやって来て、こう言った。
「I love capybara!!」
・・これは夢ではなかろうか。こんな短時間に2名のアメリカ人が、偶然にもカピバラ好きであることなど、奇跡に近い確率といえる。
しかも、犬や猫といったオーソドックスな愛玩動物ではなく、まさかの齧歯類最大種・カピバラの名前が挙がるとは――。
むしろ、ここまでカピバラ人気の波が迫っていたことに気がつかなかったわたしは、カピバラ伝道師として失格である。
よくよく考えれば分かりそうなものだが、南米生まれの陽気なカピは、日本のような狭くてお堅い民族性の島国よりも、大雑把な人柄と広大な土地を持つ北アメリカのほうが性に合うはず。
そして人間も然り。自由気ままなアメリカ人は、似たようなマインドのカピバラに対して、親近感を抱くかのように惹かれるのだろう。
*
わたしは今日、圧倒的にアメリカ人が好きになった。
彼女らが日本を訪れる際には、ぜひとも、わたしプロデュースのカピバラツアーに参加させたい。
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