水曜日の夕方、わたしは友人から蒸したトウモロコシをもらった。しかし、調理したのは火曜日の午前であり、最後の一本を口にした土曜日の深夜までには、お世辞にも短くはない時間が経過している。
さらに我が家へ運び込むまでの間、トウモロコシは冷蔵状態ではなかったため、その時点で劣化は進んでいたはず。つまり、半日以上は保存に適していない状態下にあったのだ。
もらったトウモロコシは4本、わたしは受け取るとすぐに2本食べた。言うまでもなく、甘くてシャキシャキで美味かった。
ちなみに、わたしがトウモロコシを加熱する際は、皮つきのまま電子レンジで3分チンするのがルーティンである。だがこのトウモロコシは、うっすらと塩味を感じることから、塩水で蒸したのではなかろうかと推測する。
そのため、ほのかに感じるしょっぱさと、それによりさらに際立つ甘みが絶妙なバランスを醸し出しているわけだ。
そして今、最後の一本となるトウモロコシとわたしは対峙しているのである。
わが家に到着してからは、冷蔵庫のドリンクホルダーに立てておいたため、劣化は加速していないはず。とはいえ、そこまでの間の常温期間が不安要素であることは間違いない。
しかも、まる4日経過しているトウモロコシが、最も美味い状態にないことくらい、料理をしないわたしにも分かることである。とはいえ、食べられる生ものを廃棄するほど愚かな人間でもない。なによりも、今を逃せばますます劣化が進むわけで、一秒でも早く胃袋へ送り込むことこそが、このトウモロコシにとって最も望んでいることだろう。
とくに腹が減っているわけではないが、トウモロコシの最期を美しく飾ってあげるためにも、わたしは満を持して冷蔵庫から最後の一本を取り出した。
丁寧にサランラップで巻かれた皮つきトウモロコシを、外側から一枚一枚優しく剥がす。だがサランラップから取り出した時点で、わたしはとある異変に気が付いた。
——そう、ニオイである。
茹でたてのフレッシュなトウモロコシの香りとは程遠い、腐敗か否かのボーダーラインにあるかのような、非常に微妙なニオイをキャッチしたのだ。
(・・外皮が腐敗しかけているだけで、中身は大丈夫だろう)
そう願いながら、わたしはさらに皮を剥いていった。
剥けば剥くほど、異臭に近いトウモロコシの香りが鼻を刺す。いや、気のせいだ——そう言い聞かせながら、ようやくヒゲの部分にまでたどり着いた。
このヒゲを取り去れば、いよいよ可食部とご対面である。・・とその時、わたしはまた別の異変に気が付いた。
それは、指がヌルヌルしていることだった。
生ものがヌルヌルしているという状態は、すなわち腐っていることを意味する。あの納豆でさえ、もしも人体に有害であれば「腐敗」といわれるわけで、それを「発酵」という聞こえの良いワードで言いくるめられているだけなのだ。
そしていま、わたしは自分の指先がヌルヌルしていることに気が付いたわけで、はたしてこれは腐敗なのか発酵なのか、はたまた別の症状なのかは分からない。
さらに、丸裸となったトウモロコシのニオイを嗅いでみると、これまた微妙な異臭がするのである。決して腐敗しているとは言い切れない程度の、若干、やや腐りかけてるかのようなニオイ。——やや腐りかけている、などという状態はない。「腐りかけている」というのは、もはや腐っていることを意味するからだ。
(これは食べてみるしかないな・・)
わたしは覚悟を決めると、トウモロコシに齧りついた。まずは一口食べれば、有害かどうかくらい分かるだろう。
しかし、一口で判断するには微妙すぎる腐敗具合いだった。そこでもう一口齧ると、慎重に咀嚼を繰り返してトウモロコシの状態をチェックした。
——わからない。
わたしの舌がバカなのか、それともこれは「まだイケる」ということなのかはわからない。だがとにかくボーダーギリギリ過ぎて、その判断に迷うほど腐敗と非腐敗の絶妙なラインを行き来している感じなのだ。
イケるのか、イケないのか——。
もはや味などどうでもいい。このトウモロコシが腐っているのか腐っていないのかが知りたいのだ。わたしは今、己の健康状態をこのトウモロコシに賭けているのである。
そんな決死の覚悟で、わたしはトウモロコシに挑み続けた。
*
そして今、あの微妙なトウモロコシを完食してから二時間が経過した。それでもわたしは、未だあのトウモロコシが腐敗していたのか否かについて、考えているのである。
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