私がぶら下げているパンの袋をチラ見する友人をチラ見する私

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精神的な疲労がピークに達したであろうわたしは、ついに認知症と思しき症状が現れてしまった。

なんと、二時間前にパンをたくさん食べたというのに、その事実を忘れていたのだ。しかも、手には残りのパン(こちらも大量)をぶら下げていたにもかかわらず、なぜかパンを食べた記憶が残っていなかったのだ。

 

 

「蕎麦でも食べようか?」

次の予定が迫る友人が、「サッと食べられる食事をとりたい」とのことで、蕎麦店か牛丼店へ入ろう・・という話になった。だがわたしは、なぜか腹が減っていなかった。

(ついさっきまで、あれだけ激しく運動をしてエネルギーを使ったはずなのに、なんで腹が空いてないんだろう・・)

 

思い返せばここしばらくの間、わたしは精神的な苦痛とプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。元はといえば、自分が蒔いた種なので仕方のないことだが、それでも迫りくる「Xデー」のために寝る間を惜しんで"とある準備"を進めていたのだ。

そもそも、もっと早くから準備を始めればよかったのだが、いかんせんギリギリにならないとエンジンがかからない性質なので、ここはどうしようもない。そういえばセンター試験の勉強だって、本腰を入れたのは年が明けてからだったし——。

 

そんなXデーに向けての準備・・というか練習は、想像を超えるストレスとなった。過去に弾いたことのある曲を改めて弾くだけのことだが、「誰かのために弾く」という条件が加わるだけで、こんなにもストレスを感じることになるとは思いもよらなかった。

完璧な状態で演奏したい・・と、願うのは勝手だが到底無理な話。そもそも指を亜脱臼していたり靭帯を伸ばしていたりする時点で、ピアノ弾きの端くれとしては失格である。

よって、少しでもまともに聞こえるよう"どうにか取り繕う作業"に没頭する日々が続いたのだが、取り繕うにはそれなりの技術が必要で、その技術が稚拙なわたしが「どうにか取り繕う」という行為は無謀であり、かなり高いハードルでもあった。

それでも、乗り掛かった船である以上ギブアップはできない。とにかくやれるだけのことをやって、現時点でのベストを尽くすくらいの責任を果たさなければならない——。

 

まさに"泥沼にはまった"わたしは、もがき苦しみながらも練習を続けた。おまけにこの時期は本業が最も多忙となる時期でもあり、当然ながら仕事優先で進めた結果、犠牲になるのは睡眠だった。

そもそも睡眠時間が短いわたしにとって、それをさらに削るというのは死活問題につながりかねない。それでも、少なくともXデーを迎えるまでは、何を削ってでもやりきらなければならない——。

そんなプレッシャーというかストレスが、わたしのメンタルを静かに追い込んでいたのだ。

 

 

不動前駅の商店街にあるお気に入りのパン店で、陳列されている商品を買い漁るかのように大量購入したわたしは、ジムへ移動する途中にモリモリと食べた。

(それにしてもここのパンはいつ食べても美味い。無添加の材料にこだわっていることもあり、小麦本来の風味をしっかりと味わうことができるし、なによりわたし好みの生地と焼き具合いなんだよな・・)

そんなことを思いながらも、よりどりみどりのパンに舌鼓を打ちつつ胃袋を膨らませていた。

 

そしてジムへ到着したわたしは、更衣室にて「また何か食べてきたんですか?」と後輩から呆れ顔で尋ねられたわけだが、「まぁね」といいながら丸く飛び出た腹をさすってみせた。

(運動前なのに、ちょっと食べ過ぎたかな・・)

 

それから二時間ほど動いた後に、友人とぶらぶら歩きながら「蕎麦の話」になったのである。

 

 

「うーん、ここ最近なんか食欲ないんだよね」

Xデーのことを思うと、一気に重苦しい気分になったわたしは、ついそうこぼしてしまった。すると、食欲だけが取り柄のわたしがとんでもない発言をしたことに、驚きを隠せない友人が真剣な表情で尋ねてきた。

「え、どうしたの?なにかあったの?」

(なにかあったような、なかったような——。いま話したところで食欲は戻らないし、長くなるからどうしようかな)

 

「・・ていうか、先週もあれだけ食べてたし食欲がないわけないか。しかもパン食べたんでしょ?」

なんと友人は、わたしが蕎麦を食べない理由が「食欲不振ではない」ということを突き止めたのだ。おまけに、パンを食べた事実まで言い当てられたのである。

(ハッ!!そういえば、さっきパン食べたじゃん私・・・)

 

わたしの左手にぶら下がる大量のパンを、冷めた目でチラ見する友人をチラ見しながら、「ついにわたしも、脳の萎縮により満腹中枢へ刺激がいかなくなってしまったのか」と、認知症による記憶障害を疑うのであった。

 

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