飯能駅で始まる地獄

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「席の向きを変えてもいいですか?」

飯能駅に到着したばかりの、西武線特急の車内での出来事——。未就学児を連れた父と思しき男性が、一つ後ろの席に座る老女に向かってそう打診したのだ。すると彼女は「・・嫌です」と答えた。

その返答を聞いたわたしは、内心(まぁ、そうだろうな)と思った。何が楽しくて、見ず知らずの父子と向かい合いながら電車の旅を続けなければならないのか——心が卑しいわたしならば、そう思ってしまうからだ。

 

すると男性は、

「そうですか・・でも、進行方向変わりますよ」

と、正論を交えて微妙に食い下がった。それに対して老女は、

「・・えぇ、それは分かっていますけど、席の向きを変えるのは嫌です」

と、若干声を震わせながら”断固拒否”の姿勢を貫いたのだ。ここからでは女性の表情は確認できないが、おそらくニコリともせず真顔で答えたであろう雰囲気を感じる。それどころか、怒り?ではないが何らかの負の感情を抑えようと、必死に堪える姿が想像できる——そこまで嫌だったのか。

 

とはいえ、父親の言動が異常だとは当然ながら思わない。幼い我が子のために、座席の向きを進行方向に合わせて切り替えよう・・と思うのは当然の配慮だし、外の景色を楽しみにしている息子にとっても、後ろ向きに流れる風景よりも前から来るほうが自然で受け入れやすいはず。

だがその結果、見ず知らずの他人とボックスシートになってしまうわけで、そうなると相手の承諾が必要となる。無論、満員の車内で四人掛けしか空いていない・・となれば話は別だが、途中で座席の向きを変えることで、頼んでもいないのに勝手に「四人掛け」にされたのでは、相手にしてみればあまりいい気分ではないわけで。

 

そしてなにより、一人には一人の楽しみ方がある——これはわたしが最も共感できる主張でもあるが、せっかくの一人旅・・というほどのものではないにせよ、一人で過ごす時間を満喫したいと考える者にとって、親子であれカップルであれ、目の前で賑やかな会話をされると必然的に意識を奪われることで、自分+他人という強制的な即席グループが完成されることだけは避けたい。

・・まぁこれはボックス席の場合の話なので、先の父子VS老女のケースならば、老女が自身の席を回転させれば済むことだ。その結果、さらに後ろの乗客と向かい合うことになるかどうかは知らないが——。

 

そんなわけで、乗客全員が座席の向きを強制的に回転させられるのならば問題ないが、ある人は変えたいがある人は変えたくない・・となると、当然ながらそこでトラブルが起こりかねない。仮に大事にまで発展しなくとも、気分が良くない程度の不快感を覚えるのは必須で、あの老女が正にそれだろう。

かくいうわたしは車両の先頭に座っているため、目の前は壁で背後には男性の乗客・・というシチュエーションだった。これでわたしが、「座席の向き、変えてもいいですか?」と背後の男性に尋ねたら、彼はどんな返事をするのだろうか——いや、それ以前にオトコは咳をしているので、そんな奴と向き合いたくはない。

 

(・・そう考えると、ボックス席に座るというのはある意味「引きの強さ」が試される瞬間かもしれない。赤の他人と小一時間を共に過ごすにあたり、見た目やマナー、体調、ニオイ、所作、体のサイズ、声の大きさなどなど、ハズレを引いた時のストレスといったら、特急代金を返してもらいたいほどの悔しさと苛立ちを覚えるわけで、偶然にもその場に集った乗客らが運命共同体として協力し合わない限り、そこは地獄のボックス席となってしまうのだ)

 

 

「たかが電車での移動」とはいえ、その過ごし方と空間の在り方次第では天国にも地獄にも変わるのが、ボックス席の恐ろしいところ。

そして、西武線はなぜ飯能駅で方向をスイッチする仕組みにしてしまったのか。それさえなければ、あの父子も老女も心穏やかなまま目的地まで移動できたはずなのに——そんなもどかしい気持ちのまま、電車は背後へ向かって進むのであった。

 

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