日本と米国の違いをしみじみと感じながらも瞬間的に

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アメリカへ来て一番の驚きは、友人の手料理がめちゃくちゃ美味かったことだ。これはなにも「見た目からして料理ができそうにないが、食べてみたら意外と美味かった」という意味ではなく、わたしの好みにドンピシャだったのだ。・・いや、むしろそれ以上だったかもしれない。

というのも、とくに珍しい料理を食べたわけではないからだ。骨付きチキンがたっぷり入ったスープカレーに、昨夜のスナック野菜の残りを混ぜて作ったチーズオムレツ、そしてチョコブラウニー・・これといって珍しいものではないわけで。

ところが、ラスベガスのカラッとした気候や圧迫感のある広大な青空が影響しているのだろうか、とにかく美味かったのだ。今回、アメリカへは柔術の試合に参加するべくやって来たが、減量など気にしていられないほどにガツガツと手料理を搔っ込んだわたしは、「これで体重がダメになっても仕方がない」と、無謀な諦めすら覚悟したほど——。

 

しかしながら、不思議なことに体重は日に日に落ちていった。まさかの癌を疑うほどに、あれだけ食べてなぜ0.5キロも落ちているんだ・・という日が続いた。要するに手料理というのは、人体にいい影響しか与えないものなのだ。

そんなことを思いながら、友人作のオムレツを撮影したときに、わたしはとある異変に気がついた。

(あれ、音がしない・・・)

日本ではiPhoneで撮影するときに、必ず「ピコン」というシャッター音が鳴る。これは防犯対策が目的なので、iPhone本体の操作で音を消すことはできない。対策としては、動画撮影中に"画面上の白いボタン"で静止画を撮るとか、シャッター音のしないアプリをダウンロードするとか、なんらかの工夫をしなければ音を消すことはできないのだ。

 

ところがアメリカでは、頼んでもいないのにシャッター音が自動で消えていた。まぁこれは、わたしにとってはありがたいことである。これといって悪事を働くつもりはないが、それでも背後で「ピコン」と鳴れば、なんとなく気になるのがヒトの常。黙ってやればいいものを、わざわざ宣言してから何かをするのも、野暮でありスマートとはいえない。

そんな洗練された人物を演じさせてくれる"無シャッター音撮影"は、動物の撮影に適していると思われる。世話になっている友人宅には、毛並みの美しい上品な猫が3匹暮らしており、いずれも保護猫とのこと。そんな可愛らしい同居人のすまし顔を捉えるためには、騒音が最大の敵となる。

 

椅子の上でウトウトする猫を撮影しようと忍び寄るも、「ピコン」という音が静寂を切り裂いた瞬間に、猫は大きく目を開けて恨めしそうにこちらを睨むだろう。それは睡眠を妨げてしまった彼女にも申し訳ないし、大事な一瞬を取りこぼしてしまったわたし自身も悔やまれるわけで。

しかも、あのシャッター音には悪意を感じる。まるで犯罪を行う合図であるかのような音は、不快としかいいようがない。目覚ましアラーム音もそうだが、わざと不快で意識を削がれるようなサウンドが設定されている・・と、個人的には確信を持っている。

そもそも、盗撮防止という抑止力にはなっているのかもしれないが、盗撮という時点で悪事・犯罪であることが決定している。そんなことをする者に問題があるわけで、その他大勢の善良なる市民にまで疑いをかけるのは、いかがなものだろうか。

 

先にも触れたが、背後で「ピコン」と鳴ればつい振り返ってしまうわけで、自意識過剰ではなくなんとなく嫌な気持ちになるのは普通の感覚だろう。だがその撮影者は当然ながら、わたしの魅力的なヒップを撮影しているわけではない。それこそ映えるドリンクを片手に、若者がやりがちな"目をつむって自撮り"を敢行しているわけで、振り返ったわたしも振り返られた彼女も、なんとなく気まずい空気に包まれるのである。

(こういう瞬間って、ほんともったいないよな——)

わたしは芸術家の端くれ(?)なので、ちょっとした空気感をとても大切にしたい・・と考えている。だからこそ、相手にあえて不快な思いをさせるような行為をする必要はないと思うのだ。盗撮が犯罪ならば、盗撮をさせないようなメンタルを養えばいいじゃないか。自分自身を制御できない人間が、アイテムごときで犯罪抑止が成立するなど、とうてい納得できない。

そんな表面上の抑止力で「政府は防犯対策に余念がない」などと考えているならば、ちゃんちゃら恥ずかしい話である——と憤慨しながらも、"見返り美人"の瞬間を与えてくれた美しい猫の姿を、音のないシャッター音で撮影するのであった。

 

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