36協定とハンコ老害

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3月も残すところあと一週間。冬から春へと変貌を遂げるこの時期は、ことさら時間が過ぎるのが早い。そして朝からせっせと「36協定」の届出を電子申請するわたしは、この時期になると思う。

「年に一度、URABEに本名を晒す時期が来ましたよ」

と。

 

わたしの顧問先は多種多様。といっても業種が変わっているというより代表が変わっている。むしろ、変わり者でなければわたしと仕事はしないだろう。

 

 

今朝、某顧問先の事務局長へLINEをした。

「いま、通話できる?」

すると直後に、ドコモのガラケーが鳴った。舌打ちしながら着信ボタンを押す。

「こっち、滅多に出ないから」

開口一番、捨てゼリフを吐くわたし。

「え?・・・あ、LINE通話ってことですか!」

その通りだ。「電話できる?」ではなく、あえて「通話できる?」と送った理由は、仕事用の携帯電話ではないプライベート用のiPhoneで話したかったからだ。

「仕事用の電話は、基本的に出ないからアタシ」

ハッキリと宣言する。それを聞いた事務局長は苦笑。しかし賢い彼女はもう二度と、ドコモの番号へは架電しないだろう。

 

こんな変わり者のわたしと仕事をするには、それなりの耐性を兼ね備えていないと無理なのだ。

 

 

話を戻そう。顧問先の代表で「仮の名前を使う人」が結構いる。普通では考えられないだろうが、変わり者のわたしが関与する企業においてはさほど珍しくはない。

著名人の場合、たとえばタレント業やコーチング業をしている場合、通称名のように使用する名前を持っており、一般的にはそれが本名だと思われている。

また、読み方は同じでも漢字を変えている(当て字含む)場合や、婚姻により氏を変更しても対外的には旧姓で通している場合などがそれに該当する。ただ単に「こういう名前の自分になりたいから」という理由で、宝塚のような名前を名乗る人もいる。

 

だが年に一度、この時期に締結・届出を行う36協定には、代表者の実名を記入することになる。

 

わたしは社労士専用ソフトを使って業務管理をしている。そのため、顧問先の社長を呼ぶ時、メールや口頭では仮名(通称名)だが、書類作成時は自動的に本名が印字される。そんな時、そこで初めて「あぁ、この人はこういう名前だったか」と思い出したりもする。

 

本日2本目の電話が鳴った。

「先生、代表者の名前のところブランクでください!」

某仮名社長からだ。どうやら社員に本名をバラしたくないらしく、後で自署するからブランクにしておいてくれ、とのこと。もちろん承知した。

 

また別の電話が鳴る。

「先生、俺の名前が間違ってるよ!」

通称名で仕事をしている某社長だ。いやいや、法人登記簿にもこの名前で登録されているよと説明をする。

「あ、そっか。俺の本名なのか」

どうやら本名を失念していたらしい。

 

普段から「仮名」で名刺を配り、「仮名」でメディアに登場するような人は、戸籍上の本名など忘れてしまう傾向にあるようだ。だが年に一度、ビジネスパーソンとしての名前ではなく親からもらった名前を目にすることで、改めて彼らの人物像というか人間性が鮮やかに彩られるような、不思議な感覚を味わう。

 

そういう「人間らしさ」に触れることが信頼関係の構築につながると、わたしは思う。

 

 

最後に「36協定」の豆知識を。36協定は、会社が労働者に残業をさせる場合、事前に労働基準監督署への届出が必要な書類。36協定の届出をせずに「残業代さえ払えばいいだろう」というのは間違いなのでご注意を。

 

そしてこの36協定、実質2種類ある。

 

一つは「36協定」という労使協定書。もう一つは「36協定」という届書。何が違うのかというと、内容はまったく同じだ。

ただし「協定書」は労使双方の記名押印が必要で、「協定届」は記名のみで押印が不要となった。いま流行りの「ハンコ不要」というやつの効果だ。そして一般的には「36協定届の様式」で労使協定書を兼ねることが多い。よって、一枚の様式で協定書と協定届の作成が完了する

 

ところが「ハンコ不要」を喜ぶのもつかの間、「協定書」の押印は省略できない。つまり、協定届の押印を省略する場合、別途「協定書」を作成しなければならず、そこへは記名押印の必要がある。

――なんだこの本末転倒かつ圧倒的な無駄

 

とどのつまりは「36協定書(届)」を作成しなければならず、ハンコ文化は地味に健在なのだ。そして36協定の届出を電子申請するにせよ、わたしが36協定書(届)を確認しつつ、画面入力することになる。そのためにはこれまで同様、紙ベースかつハンコ必須の作業をクライアントへ依頼しなければならない。

 

紙で締結された協定書(届)を見ながら、電子申請の画面に転記(手入力)する。

 

このアナログな方法もいかがなものかと思う。どのみち紙で締結するしかない36協定ならば、そのPDF(データ)を添付して電子申請すれば済むのではないのか。社労士が転記するムダな時間、そこで起こりうる人為的ミスについて、なぜ問題視しなかったのだろうか。

 

結局のところ、なにがICTだ。なにがDXだ。テイのいい横文字並べただけで、本質の変化を恐れる政治家たちの体たらくじゃないか――。

 

などと悪態ついて怒りつつも、長いものには巻かれないと生きていけない世の中。せっせと転記作業に精を出すのであった。

 

Illustrated by 希鳳

 

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