謝罪を込めて。謎の体調不良を払拭した、本当の理由はコレ

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驚くほど多くの者が、この時期に「体がダルい」「眠気がおさまらない」「食欲がない」といった”謎の体調不良”に見舞われていることを知ったわたしは、強烈な良心の呵責に襲われた。

こ、これは本当のことを言わなければ——。

 

先日のコラムで、「自分だけでなく、みんなが体調不良を訴えていることを知り、安心した途端に体調がよくなった」と述べたが、じつは半分嘘である。この不快かつ異常な状態が「自分だけではない」と知ったことで、かなり気持ちが楽になったのは事実。そのおかげで、なんとなく調子がよくなったのも確か。

だが、体調不良を一発で改善したのは気持ちではなく、抗ヒスタミン薬(ビラノア錠)だった。

 

わたしは、季節の変わり目——殊に冬から春へ移る頃、毎年しつこい空咳に悩まされる。病名としては「咳喘息」というもので、一度むせ込むと呼吸ができなくなるほど酷い状態となるため、常に吸入ステロイド薬を持ち歩く生活を送っている。

これも一種のアレルギーということで、特異的IgE抗体検査(血液を採取し、アレルギーの原因物質に反応するIgE抗体の量を調べる)を受けたこともあるが、ドクターが「ここまでアレルゲンに反応しない人は、見たことがない」と苦笑いしたほど、具体的なアレルゲンは特定できなかった。

無論、自然界には多くのアレルゲンが存在しており、検査で結果が出なかったからといって「アレルギーではない!」と威張れるわけではないが、これ以上細かな検査をしたところで、あまり意味がない——要するに、日常生活で避けることのできない物質だったりすれば、知ったところで対処のしようがないため、さらなる追究は諦めたのである。

 

そんなわけで、アレルギー対策として抗ヒスタミン薬を常備しているわたしは、今回の体のダルさを受けて「ビラノア錠」を服用したのだ。

女性ならば共感できる者も多いと思うが、これほどの眠気に襲われるのは生理前かアレルギーしかあり得ない。そして、生理後であるにもかかわらず、体がドロドロになるような重度の眠気を感じるというのは、アレルギー反応すなわち「ヒスタミンにより誘発されたサイトカインが、大量に放出されているに違いない」と、推測したからである。

 

「サイトカイン」という名称は、それこそコロナ禍によく耳にした単語だと思うが、簡単な説明としてはこんな感じ。

われわれの体には、アレルギー反応が続くと「免疫細胞が炎症性の物質を放出する」という仕組みがある。そして、この炎症性物質のことを「サイトカイン」と呼んでいる。これは、本来ならばウイルスと戦う際に使われる信号なのだが、アレルギーでも同じように出ることがあり、その結果として発熱に似たダルさや筋肉痛のような重さ、睡眠の質の低下、頭がぼーっとする・・といった、まるで風邪のような症状が現れるのだ。

なお、ウイルス性の風邪との違いは「熱が出ない」という点だが、風邪と同時にアレルギー反応を起こしていれば発熱もあり得るので、そこは分けて判断するべき。

 

というわけで、サイトカインによる倦怠感だと悟ったわたしは、さっそくビラノア錠に手を伸ばしたのである。

ちなみに、ビラノア錠の利点は一日一回の服用でいいことと、眠気を感じないことだ。通常の抗アレルギー薬は「重度の眠気に襲われる」と聞くが、ビラノア錠に関してはそれがない——といっても、個人差はあるだろうから、あくまで「わたしは一切感じない」ということだが。

 

そして数時間後・・・ふと気がつくと、あの体の重ダルさは消えていたのである。

 

 

とはいえ、これだけでは必ずしも「抗アレルギー薬が効いた」とは言い切れない。では、なぜわたしが「このダルさはサイトカインによるものだ」と断言できるのかというと、じつはこの数日後にビラノア錠の服用を止めてみたのだ。その結果、翌日までは順調に過ごせたが、翌々日にまたもや体のダルさと重度の眠気に襲われ——。

そこですかさずビラノア錠を飲んだところ、数時間後に体調不良がピタリと止んだではないか!

 

よって、わたし自身に関しては「あの耐えがたいダルさは、ヒスタミンによるアレルギー反応からのサイトカイン誘導による症状だった」と結論づけたのだ。

なお、誤解を招かないように念を押しておくが、倦怠感に苦しむ誰もが皆そう(アレルギー反応)だとは思わない。だが、一度試してみるのはアリだと思う。正直なところ、「アレルゲンが何か」などどうでもいい・・というか、わたしのように限定できない場合もあるので、そこは問題ではない。むしろ、今自分の体に起きている症状の「原因と対処」を優先するべきで。

 

体調不良というのは、いわば体からのメッセージである。よって、「季節的なもの」と一括りにいっても、それが自律神経のバランスの乱れによるものなのか、アレルギー反応からくるものなのか、はたまたウイルス性の風邪なのか、それぞれの原因にあった対処を行わなければならない。

加えて、それらを究明し適切な処置を施すことは、人生を有意義に過ごすためにも最優先すべき事項といえる。もしかすると、花粉症のようにシーズンが過ぎれば自然と収まるものかもしれないが、そこまでの期間を苦しみながら過ごすのと、快適な状態で過ごすのとでは、振り返ってみれば大きな差がある——だったら、アレルギーを疑うのも一つの有効な手段といえるだろう。

 

 

なんでもかんでも薬に頼ればいいとは思わないし、実際にわたしもそうではない。だが、神経痛やアレルギーに関しては、科学技術の進歩と人類の英知の結晶である「薬」に頼ってもいいのではないか、と思うのである。

 

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