――朝から電話が鳴りやまない。
イマドキ電話?と思うだろう。
しかし、行政相手の仕事は、いまだに「電話」が最先端なのだ。
そして今日は、顧問先からも電話が多い。
私は、電話連絡が嫌いだ。
なぜなら、電話は、私の時間を奪うからだ。
チャットやメールならば、2つ同時に処理することもできるし、自分で時間をコントロールすることが可能。
しかし、電話はそれを許さない。
だが、ときには電話のほうが便利で早いことがある。
それは、「臨場感」が必要な場合だ。
*
「先生、従業員が自殺しました」
こんな内容は、文字ではなく、声で聞きたい。
すぐさま情報収集し、的確な指示を出したいからだ。
また、声から伝わる臨場感も重要で、もし狼狽しているならば落ち着かせ、憔悴しきっているならば励まし、それは「声」からでなければ入手できない情報なのだ。
あとは、
「先生、警察と裁判所から連絡がありました」
これも、できれば電話で聞きたい。
警察だから刑事事件に発展する可能性もあるし、それが労働者のことであれば、不就労期間の対応について、検討せねばならない。
裁判所からは、大半が民事訴訟に由来する内容なのだが、裁判所というより、相手方の弁護士からのことも多い。
さらに、文字では長くなりそうな内容も、電話のほうがリードできる。
「先生、帰宅したら妻と子供が荷物まとめて消えていました」
こんなパターン。
これは、泣きも入るため、電話越しのほうが対応しやすい。
ここで、
「長くなりそうなので、メールでください」
などと非情なことを言えるほど、冷酷な人間でもない。
しかしこれは、下手すると2時間コースのため、この発言を聞いた時点で、瞬時にタスク修正をする。
――そして今日、このすべてが起きたのだ。
*
関与先で自殺が起きたのは、3件目。
病死や事故死はあったが、自殺が3年に1回のペースで発生するとは。
ただ、全てのケースにおいて、事業主は一定以上の努力をしている。そして、自殺した労働者も、それを分かっている。
――某警察署から架電。
「Aさんの遺体が発見されました」
2日前から消息不明となっていたAさん。
会社から警察へ捜索願を出していたため、この連絡がきた。
現場には、Aさんの所持品は何もなかった。
携帯も、財布も、何もかもが自宅に置いてあった。
遺書はない。
――思い起こすと、Aさんは突如、身一つで東京へやってきた。
字のごとく、本当に、何も持たずにやってきた。
そして、顧問先へ突然訪れ、
「働かせてください」
と言った。
通常、このような飛び込み求職はお断りだが、社長は感じるところがあったようで、例外的に受け入れることにした。
私は、雇用契約書の内容を、かなり警戒しながら作成した。
(一応、雇用期間は2か月の有期契約としよう)
(賃金についても、時間給で様子をみよう)
(どの程度仕事ができるのか以前に、そもそも、人物像すら不明なわけで、いつでも会社を守れる内容にしておこう)
――そんなことを考えながら、ガチガチの契約書を作り上げた。
Aさんは、ほとんど会話をしない。
よって、これまでの経緯や事情も、不明のまま。
そして、携帯電話もお金も何もないので、すべて社長が買い与えた。
住むところもないので、会社近くのアパートを会社で借りて、住まわせた。
――あっという間に、契約期限の2か月が過ぎた。
社長は、
「ちょっと変わった子ですけど、真面目に仕事をしてくれるので、契約更新しようと思います」
と言う。
そこで今度は「期間の定めなし」の雇用契約書を作成した。
給与も、時給から月給にした。
同時に、社会保険も加入させた。
社内では、Aさんから誰かに話しかけることはほぼない。
ただ、女性が多い職場のため、おしゃべり好きなお姉さまたちが、若いAさんに話しかけた。
――Aさんは、やや恥ずかしそうに、小さく短く返事をしていた。
仕事が終わると、お姉さまたちがAさんを夕ご飯に連れて行った。
ときには、お弁当を作ってきてくれる人もいた。
Aさんには、人を引き寄せる不思議な魅力があったのだろう。
そんなある日、Aさんが出社しなかった。
心配した社長は、携帯に電話をするが、出ない。
アパートまで行ってみると、カギは開いていた。
家の中は、今もなお、普通に生活をしている人の部屋だった。
携帯も、財布も、靴も洋服も、すべて置いてあった。
すぐさま警察へ連絡をし、捜索が始まった。
――そして2日後。
東京からかなり離れた場所で、Aさんは飛び降り自殺を図った。
*
Aさんの死後、母親から会社へ連絡があった。
「遺品は処分してください」
ただ、それだけだった。
「待ってください」
社長はたまらず、声を荒げた。
そして、Aさんの生い立ちについて、母親からいろいろと聞いた。
Aさんの母親は離婚を繰り返しており、長男だったAさんは、新しい父親に好かれなかった。
また、Aさんには軽度の知的障害があり、学校でも友達ができなかったそう。
そして、父親が変わるたびにDVに遭い、Aさんは中学校の途中で家出をした。
それっきり、母親はAさんとは会っていないとのこと。
――こんな、地獄の幼少時代を過ごしたにもかかわらず、
Aさんが最期に選んだ場所は、自宅からわずか2キロの場所だった。
電話の最後に、母親はこう言った。
「葬式も、出すつもりはないんで」
*
私は思った。
Aさんが東京へ来た時、じつはもう、命の灯は消えかかっていたのではないか。
それをたまたま、顧問先の社長が無理やり、つなげたのではないか。
今までの人生で、人から優しくされたことなどなかったAさんは、この会社に入り、仲間や先輩から「愛されること」を知った。
はにかむ笑顔の奥に、人の優しさや愛情を覚えたと思う。
きっと、居心地が悪かっただろう。
むずがゆい、とでもいうか。
居心地が良すぎて、逆に、居心地が悪かったのではなかろうか。
愛されないことがデフォルトの人生だったAさん。
もっと早く、人から愛されることを覚えていたら、死を選ぶことはなかったかもしれない。
それでも、
最後に愛を覚えて、きっと、幸せだったと言ってくれるのではないか、と思う。
たった3か月ほどだったが、Aさんの人生は確実に変わった。
そして、3か月前に消えていたかもしれない命の灯が、僅かだが、長く灯り続けた。
Aさんは最期「幸せだった」と、私は、信じている。
*
社労士の仕事をしていると、毎日が事件の連続だ。
とくに私は、一般的な社労士とは質が異なるため、より事件性の高い環境で生きているように思う。
ときには感情が持っていかれることもある。
そんな時、法律がバランスを保ってくれる。
法律に関わる仕事をしていると、自分自身がリセットされる。
感情の赴くまま、無秩序に転がる時間が、自動的に補正される感覚。
不変・不動のものは、ややもすると足枷となる。
しかし、己を律するには必要なものだと、私は感じている。
この、法律というバラストを活かしながら、今日もまた、仕事に励もう。
結構なケース経験してますね…
私はこの手のケースを一度も経験したことがないです。
自殺ってやっぱり衝撃ですね。
こういうケースがあったらりかさんに相談してしまうかもしれないです!
一般的に誰もやったことない手続きとか相談専門の社労士なんで、いつもでお待ちしとります。
その代わり、一般的な、初歩的な質問をさせていただきますよ笑。