神という存在へ一歩近づいた私

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(もしや、わたしは神に近づいているのか)

その昔、米国のカルト教団が信者の老人に対して、五感を遮断して神と接触する実験を試みた・・という都市伝説がある。

これは通称「神との接触実験」と呼ばれ、教団の宗教学者らは"人間の五感が神へ近づくことを阻害している"と考えたのだ。そのため、五感を失った人間が神の存在を感じることができるのかどうかを、自ら被験者となることを申し出た老人を使って実験したのだ。

 

その結果は惨憺たるもの・・というか、結果自体が事実か否かも不明だが、一応、被験者の老人は神の存在を認識して死んでいったとされている。

とはいえ、視覚を失った真っ暗闇で何も聞こえず匂いも味も分からず、おまけに何に触れても分からないのだから、その恐怖は想像を絶するものだろう。それでも声は発せられたようで、脳内(?)に現れる様々な現象を吐露していた模様。

(一方的にしゃべりまくって死んでいったのか・・・)

それこそ天涯孤独を率先して実現したわけで、考えるだけで気持ちが暗くなる。やはり、人間は一人では生きていけないものなのだ。

 

——そしてわたしは今、味覚と嗅覚を失っている。この二つの感覚について恐ろしいのは、これらを失っていてもすぐには気がつかないことだ。

視覚ならば目を開けた瞬間に気づく。聴覚だって意識があれば即座に気づく。触覚も当然ながらすぐに気づくわけで、この三つは普通に生きていればすぐさま異変に気づく感覚である。

だが、嗅覚と味覚に関しては、実はそこまで瞬時に発覚するものではない。しかも自宅に閉じこもっていては、特段変わったニオイもしないわけでますます発覚が遅れることとなる。

 

わたしがなぜ、自らの味覚と嗅覚の逸失を知ったかというと、二日前に購入したグランデサイズのアメリカーノ(エスプレッソを湯で薄めたものだが、二日もたてば単なるアイスコーヒー)を口にしたところ、無味無臭であったことがきっかけだった。

(ん?おかしいな、ハチミツを10周かけてもらったはずだが・・・)

最近のお気に入りは、アメリカーノやドリップコーヒーにハチミツを混ぜた一杯だった。なんせ、ハチミツは無料でかけてもらえるため、ここぞとばかりに「10周!」などと、遠慮なくぶっかけてもらうのだ。

おまけに、ただ単にかけるのではなく、ちゃんと混ぜてもらうのがポイント。通常はハチミツをグルグルかけるだけで終わりなので、ついでに「かき混ぜてください」と頼むことで、エスプレッソとハチミツの融合が完成するのである。

 

そして、微かに香るハチミツの匂いを確かめながら、舌の奥で密かに感じるハチミツの豊潤さを噛みしめる——そんなシャレた味わい方を楽しむのが、清貧の小さな贅沢だった。

それなのに、わたしは今なにも感じられないのだ。

 

とはいえ、触覚は健全であるため、普段は気がつかない「舌ざわり」で判断する面白さを発見した。

たとえばコーヒーならば、やや硬質な液体が口の中へと広がる。水よりも硬いテクスチャーが、いかにもコーヒーであることを主張するわけで。

そしてアクエリアスならば、舌にまとわりつくかのようなベタベタした質感が特徴。コーヒーよりも柔らかく、立体的なイメージの液体がアクエリアスである。

 

(これなら、利き酒ならぬ利きドリンクができるかも・・)

少なくともコーヒー、アクエリアス、桃のカルピス、緑茶、水の5種類に関しては、間違いなく判別できるようになった。

 

たかが液体でここまで差があるとは、やはり失って気がつくことは大きい。そして今まで、いかに味覚と嗅覚に頼っていたのかが分かる。

・・まぁ、今の状態で「美味いか不味いか」と聞かれても、それを判断する感覚が麻痺しているため答えられないが、"舌ざわり"というやつならば冴えているわけで。

 

そして、五感のうち二感を失った今、わたしは少なからず神に近づいたといえる。奪われた味覚と嗅覚を補うために、わたしの感覚はより一層研ぎ澄まされ、人間を超越した存在へと昇華されるのだ。

 

 

"神"という存在に一歩近づいたわたしだが、この状況もあと数日で解消されるだろう。そしてまた、普通のニンゲンへと逆戻りするのである。

 

サムネイル by 希鳳

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