(もしも今、大地震に襲われて命を落としたとして、後悔はないだろうか——)
このマインドが、わたしの根源たる意思決定の基準である。なにかを選択しなければならない時、全体を俯瞰した上でのベストなチョイスをするのではなく、「今それを選ばなくて後悔しないか」という一点で、わたしは人生の駒を進めてきた。
無論、「まったく後悔がないのか?」と問われれば、そんなことはないかもしれない。ただ、後悔しない覚悟を決めた上での道ゆえに、仮に後悔に近い気持ちがあったとしても、それは「結果としての反省」であり、やはり選択しないという道はなかっただろう。
そんなわたしが、今、とある選択を迫られている。それは、クール宅急便で届いたばかりのル・レクチェを、一気に食べるか数日に分けて食べるかの選択だ。
ここ数日で、明らかに皮膚が黄色く変色したわたしは、βカロテンが豊富な果物を警戒している。その一番の原因と思われる"みかん"は、買ったその日に食べ終えてしまうので、新たに追加購入しない限りは口にすることもない。よって今日は真っすぐ帰宅し、みかん危機を乗り越えたのである。
その代償なのか、帰宅してしばらくすると、クール宅急便の届け物があった。段ボールの蓋を開けると、そこには「ル・レクチェ」の文字が——。
ル・レクチェとは西洋梨の一種。栽培が難しく生産量が少ないため、"幻の西洋梨"と呼ばれるほど、貴重かつ高価な果物である。
ル・レクチェはフランスが原産国だが、明治36年頃に新潟県に渡って以来、その上品な甘さと芳醇な香りに加えて柔らかくもしっかりとした歯ごたえが、多くの美食家たちを唸らせてきた。
さらに、西洋梨の中でも栽培環境が限定的であることから、現在ではフランスでも栽培量が減っているのだそう。そんな奇跡の果実を、わが国日本で見事に育て上げているのである。
『大切な人の数しか実らない』といわれる特別な果物、ル・レクチェ。このような究極の贅沢が突然届いたのだから、驚きと感動で半狂乱となったわたしは、さっそく果実を取り出そうと緩衝材を取り除いた。
(食べごろサイン、というのがあるのか・・)
果実の上に、最適な食べ頃を示す「食べごろサイン」の冊子が載っている。色…パステルイエローからブライトイエロー(完熟バナナの様な色)、香り…甘い香水のような芳醇な香り、硬さ…指で触れたときにやわらかめの感触、と書かれている。さらに、軸の周囲が黒ずんでいるくらいが、食べ頃とのこと。
(まだ黒ずんではいないが、少なくとも食べごろ期間に突入していることは間違いない・・)
"西洋梨の貴婦人"をそっと取り出すと、水で軽くすすいで口へと運んだ。——あぁ、なんと馨(かぐわ)しいフレグランスだ。
正気を失ったわたしは、一心不乱にル・レクチェにかぶりついた。台所のシンクでボタボタと果汁をこぼしながら、無我夢中に喰らう果物ではないことくらい承知している。だが、自我がどこかへ行ってしまったわたしは、柑皮症で黄土色になった醜い両手をル・レクチェの聖水で浄化しながら、あっという間に種と軸以外を見事に食べ尽くしたのだ。
(う、うまい。美味すぎる!!)
鼻息は荒く瞳孔が開いた状態のわたしは、無意識に二つ目の"貴婦人"を握りしめた。今度は洗うこともせず、そのままの状態でかぶりついた。そしてこちらも秒殺すると、手指をびしょびしょに濡らす聖水をべろべろと舐め尽くした。
(あぁ、なんという至福の時・・)
理性が戻ったわたしは、目の前に残されたラスト一個のル・レクチェを冷静に見下ろす。——もう少し黒ずんでから、完璧な追熟を味わう贅沢というのも捨てがたい。しかし、もしも今、東京を巨大地震が襲ったとしたら、この一つを食べることなくわたしは人生を終えるのだ。
果たしてそれが、正しい人生の選択だったといえるだろうか?
微塵の後悔もなく、穏やかな表情でこの世を去ることができるのだろうか?
(・・・否!)
覚悟を決めたわたしは三個目のル・レクチェを鷲掴みすると、ハーモニカを吹くように顔を左右へ移動させながら、そして、唾液と果汁をダラダラと垂れ流しながら、最期の奇跡を食べ終えた。
——我が生涯に一片の悔いなし(梨)。
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