生きながらにして埴輪(はにわ)

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——とうとう恐れていたことが起きた。当然といわれればそれまでだが、水の流れが高いところから低いところへ向かうように、熱伝導が高温から低温へ伝わるように、体に異変が起きることは必然だったのだ。

わたしの乱れた食生活を知る者からすれば、「まぁ、そうなるのも時間の問題だろう」で片づけられそうだが、"とうとう"というか"いよいよ"というか、わたし自身が黄色く色づく季節がやってきたのである。

 

とはいえ、このタイミングは正直おそい。振り返ればこの一か月間、わたしは毎日"黄色っぽい果物"を齧ってきたわけで、とくに今月の半ばまでは大量の柿を食べ続けてきたという事実がある。それもそのはず、シーズン到来ということもあり、全国各地から段ボール箱に詰め込まれた大量の柿が送られてきたり、近所の友人から70個ほどの柿を分けてもらったりと、尋常ではない数の柿を摂取したからだ。

そもそも当時は、柑皮症(皮膚が黄色くなる症状)の心配よりも、柿胃石(胃の中に石のような塊ができる症状)を警戒した。なんせ、柿を一日に5個食べ続けた人が、柿胃石を発症して病院へ運ばれたという事例もあり、一回で10個食べるわたしなど、明日には柿胃石で悶え苦しむのではないかと、日々ビクビクしていたからだ。

 

それでも、食べ物を無駄にすることのできないわたしは、もらった柿をすべて制覇した。そして来る日も来る日も必死に柿を喰らい、200個を超える柿を食べた時点で、わたしはふと思った。

(柿もみかんと同じような色をしているが、これだけ食べ続けても皮膚は黄色くなってないな・・)

われわれ日本人は黄色人種であるがゆえに、皮膚はやや黄色味を帯びている。そしてわたしは、その中でもより黄色が強いため、普段から黄土色っぽい肌をしているのだ。それでも、「黄疸だ!」「肝機能障害だ!」と周りから騒がれるほど、目立った黄色は確認できない。

 

ややもするとわたしは、一般人よりもβカロテンの摂取効率がいいのかもしれない。・・いや、ただ単に摂取量が異常なだけだろうが、みかんを食べると必ず、皮膚が埴輪(はにわ)色になる。

そして今回は、大量のみかんではなく大量の「柿」を食べ続けたわけだが、期待するほどの変色は見られなかったというわけだ。

 

そんな気休め程度の安堵もつかの間、ここ二週間は柿からみかんへと一気に様変わりした。さすがに柿の食べ過ぎで飽きてしまった節もあるが、スーパーの果物売り場も柿やシャインマスカットから、みかんとりんごに一新され、いよいよ冬の到来を視覚的にも確認できる時期となったのだ。

オレンジ色の小玉なみかんが、透明パックに詰められ陳列されている。あぁ、美しい——。

 

みかんを食べると、一個や二個で手を止めることができない"不思議な作用"が働く。そのため、みかんを食べるわたしは皮むきマシンとなり、一心不乱に皮を剥いては半分に割った果実を口へと放り込み、数回咀嚼した後に新たな果実を放り込む・・という流れ作業が続くのである。

つまり、20個程度のみかんなど、あっという間に消し去ることができるのだ。

 

 

「ほんと肌の色、白いね」

友人の手指を眺めながら、思わずため息をつく。色白の彼女は、どちらかというとピンクがかった白さの持ち主。まさに理想的な女性の肌であり、まるで埴輪(はにわ)のような黄土色のわたしからすると、羨ましい限りである。

「そんなことないよ」

照れ笑いを見せながら、社交辞令程度に否定をする友人。だがとりあえず、話の流れで互いに手のひらを見せ合いながら「そんなことないよぉ~」をやろうとした瞬間、われわれ二人は絶句した。

 

(ほ、ほんとだ。ものすごく黄色い・・・)

 

わたしもまさか、ここまで自分の手のひらが黄色くなっているとは思わなかった。その理由として、他人と比較しない限りはそこまで「色の違い」を感じないからだ。

自分の皮膚の色だけを観察し続けたとしても、それが「やけに黄色い」と思うかどうかは分からない。ところが、誰かと手のひらを並べたときに初めて、わたしがどれほど黄色いのかが判明するのである。

さらにわが家は、暖色系の照明で統一されているため、年がら年中黄色っぽく見えるという特徴もあるため、わたしがいつ"埴輪化"したのかは不明。

 

(11月の時点でここまで黄色いと、新年を迎える頃には完全なる埴輪が完成するんじゃ・・)

 

生きながらにして埴輪——。そう、これこそがわたしの本質なのである。

 

Illustrated by おおとりのぞみ

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