今日は久々に論述式のテストを受けた。
わたしは文章を書くスピードが速いというか、ネタを思いついたら書き上げるのが速い。正確には、ネタが決まったらキーボードに指を置き、イタコが死者の魂を降霊し自らに憑依させて"口寄せ"で言葉を発するかのように、指がみるみる勝手に動くのである。
そのため、文章の構成など考えたこともないし、「起承転結」とかいうセオリーに沿って記事を書いたことは一度もない。とはいえ、ある程度の自由な裁量を委ねられる記事やコラムと違って、論文や論述テストは好き勝手にポエムを書き綴る場所ではないのも事実。
・・いや、それ以前に論文の内容が採点者のお眼鏡にかなうかどうかが、大問題である。
(高得点をもらうためには、評価者が気に入るような内容にしなければならない。たとえわたしがそう思っていなくても——。)
こうなると、文章を書き上げる速度を自慢していたわたしも、一気にしょんぼりしてしまう。なんせ、「好き勝手に暴れていいよ!」と言われれば大喜びで転がり回るのだが、あれこれ条件がついた途端に大人しくなってしまう、手数の少ない不器用な生き物だからだ。
そもそもわたしは、学生時代に「大木を描きなさい」と言われて、躊躇なく木の幹の拡大図を描いたオンナである。とくに深く考えたわけでも、奇をてらったわけでもない。ただ課題を聞いた瞬間に、わたしの脳裏には大木という名のガッサガサな木の幹が浮かんだのである。
そこから一心不乱に幹を描いた。蟻になった気分で、まさにミリ単位の緻密さで大木の幹をせっせと再現したのだ。
(・・そういえば桜のピンク色は、花びらの色ではなく木の幹から抽出するのだと聞いた。この薄汚れたチャコールグレーの寒々しい孤独な色から、あれほど鮮やかで華やかな美しさを絞り出すことができるとは、まさに自然界の神秘である。何十年、あるいは百年以上を生き抜いた、太く立派な桜の大木をわたしはこの手で描き上げてみせる!!)
桜の木に寄せる熱い想いに耽りながら、「大木を描け」と言われて「大木の木の幹の拡大図」を真剣に描き上げたのが、このわたしである。
そんな解釈や理解度だからこそ、講師や採点者が求める「答え」はわたしからは出てこない。だがそれは、わたしなりの信念と意思の集大成であり、そこを曲げてまで点数を手に入れたいとは思えないのだ。
・・このように頑なで偏屈なわたしが、論述テストで高得点をたたき出すには、採点者が変わり者であることが必須。しかしこればかりは、こちらでコントロールできるものでもなく、運を天に任せるしかない。
とはいえ、よくよく考えれば"高得点を取る必要"などないのだ。ギリギリでもビリでも、合格ラインを超えればそれでいいわけで、変に冒険することで無駄に痛手を負うのは愚の骨頂。相手が求める「答え」をつらつらと綴ってやればいいじゃないか——。
・・などと頭で理解していても、指がそのように動かないのが現実である。
分かってはいるが、どうしてもそんなありきたりで吐き気を催す文章は書きたくない。とはいえ、素直にわたしの考えをしたためれば、それはもしかすると「落第」を誘う可能性があるわけで、迂闊にその手に乗ることはできない。
だったらやはり、邪念を捨てて・・いや、邪念にまみれて採点者に媚び諂(へつら)い、靴をなめなめしながら合格点を手に入れるほうが賢いやり方だろう。
(わたしはオトナであり社会人である。目的達成のために、己の欲を捨てることなど造作ない。だが・・・)
やはりわたしは、野生を生きる動物なのだ。死ぬか生きるか、伸るか反るかの両極端な選択肢しか持ち合わせていない、強欲で身勝手な生き物なのである。
あぁ、だからこういうテストは嫌いなんだ——。
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