(・・・あぁ、また逝ったわ)
今日で何人目かしら——。アタシの同僚が毎日毎日、この世から消えていく。そもそも、アタシたちはこんな短命な人生だなんて聞いてないわ。もっと長く、楽しい時間を謳歌できると思っていたのに、よりによってこんな殺人級の虐待を受けるだなんて、本当に悔やんでも悔やみきれないわ。
アタシの女主人だって、昔はぜんぜん違ったのよ。それこそ毎日アタシたちをキレイに洗ってくれたり、特別なクリームで潤いや艶を与えてくれたり、女ざかりを満喫していたわ。それなのにいつからか、こんな虐待女王に豹変してしまうなんて、もう悲しくて悔しくて生きた心地がしないのよ!
・・え?アタシが何者かって?あら、自己紹介が遅れてごめんなさい。アタシは髪の毛よ。イチカワナリコの頭皮から生えている、美しい髪の毛よ!・・それが、どういうことよこれ。見てごらんなさい?こんなにもヨボヨボでパサパサで、キューティクルもクソもあったもんじゃないわ!
アタシたちは、人間にとって重要な部位とされる「頭部」を守るために生まれてきたのよ。太陽光から発せられる熱や紫外線がダイレクトに頭皮を照射しないように、それから、その辺で転んだり上から何かが落ちてきたりしても、アタシたちがクッションとなって直撃の大ダメージから逃れられるという、生命維持にとって超重要な役割を果たすために、人間の頭に存在しているのよ。
本数的には、そうね、およそ10万本と言われているわ。欧米人のほうがさらに量が多いみたいだけど、ナリコは日本人だからこのくらいだわね。そしてアタシたちの一生は、およそ5年程度で終わるのよ。あ、でも悲しくなんかないわ。なぜなら、また新たに生まれ変わるからよ。アタシたちの命の根源である毛根が存在する限り、何度でも蘇っては、爽やかな風になびくことができるのよ。
ちなみに、アタシたちの仲間内では、オンナの髪の毛に生まれることができたらラッキーだとされているわ。なぜなら、オンナにとって髪の毛は命!って言われているんでしょ?シャンプーやリンスも市販の安物なんかじゃなくて、サロン御用達のいい香りのものを使ってくれるし、紫外線や摩擦で傷んでくればトリートメントやヘアパックできちんとケアしてくれるし、もうオンナの頭皮に宿れれば人生の勝ち組が確定するんだと、ママが言っていたわ。
それなのに、どういうことよ!ナリコはなんだか知らないけど、アタシたちをゴシゴシと床にこすりつけて痛めつける運動を始めたじゃないの!昔はあんなにもツヤツヤで美しい黒髪の持ち主だったのに。それこそ、通り過ぎる殿方の視線もあの艶やかなロングヘアに魅了されていたじゃない。それなのに今は、アホ毛と抜け毛だらけになるまで、虐待と拷問を繰り返す日々が続いているのよ。いったい、なぜ・・・。
あぁ、感傷に浸っているうちに、また同僚がやられたわ。今度はうなじ付近の後輩だわね。ナリコの敵かしら?見ず知らずのオンナが、分厚い布でできた袖で首を抱えるようにして、ナリコのうなじを攻撃しているじゃないの。
もうやめて!こんな無意味で不毛な争いに、アタシたちを巻き込まないで!!
・・そんな悲痛な叫びも虚しく、今度は前頭葉あたりの子が酷い傷を負ったわ。きっとアタシたちだけじゃなく、おでこの皮膚さんたちも同じように悲鳴をあげているに違いないわね。だって、ほら見てみなさいよ。おでこがあんなに赤く色づいちゃって・・。
前髪の子は、寸でのところで命だけは繋いだ様子。でも酷く擦れたせいで、全身がヨボヨボに折れ曲がっているわ。あぁ、なんて惨めな姿でしょう。あの子は「わたし次第で、ナリコの見た目の良し悪しが決まるのよ!」だなんて、張り切って短くなったのに。
アタシたちの中では花形といえる、理想のポジションが前髪。それなのに、今じゃ見るも無残な姿に枯れ果てているじゃない——。
こうなったら明日は我が身、アタシだっていつこの世を去るか分からないわ。ナリコの耳の上に位置するアタシは、まだなんとか虐待からは逃れられているけれど、いつどんな方向から敵の攻撃があるかなんて分からないわけで、備えることもできないのよ。
あぁ、昔は楽しかったわね。アタシたちは蝶よりも花よりも丁重に扱われていたわ。他の部位のご婦人方には申し訳ないけど、アタシたちこそが美の象徴であり称賛に値する存在だったのよ。そしてちゃんと、それらに応えるべくアタシたちは美しく輝いていたわ。そよ風や花びらたちと仲良くおしゃべりをしつつ、季節の移り変わりを楽しんだこともあったわね。もう、あの頃には戻れないのかしら・・・。
*
(ギャァァァァ!!!!)
その瞬間、敵の太ももがナリコのこめかみを捉えた。そしてもの凄い圧力で髪の毛を封じ込めたのだ。そう、トライアングルチョーク(三角絞め)を喰らったのだ。
そこから必死に逃げようとするナリコ、それと同時に何本かの髪の毛が千切れていく——。
しばらくすると、マットの上に何本かの傷んだ髪の毛が横たわっていた。もう二度と、息を吹き返すことのない髪の毛たちが。
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