「あのヒトだれ?ってか、Dのヒトは?」
村山と初めて会った瞬間、思わず口をついて出た言葉だった。その時わたしは、大手広告代理店「D」の担当者と会う目的で、友人とともにアメリカへ向かったのである。
だがそこにいたのは、Dに勤務する敏腕マーケターではなく、どこにでもいそうな凡庸なオトコだった。
そもそもわたしは、Dという企業がどうも好きになれない。全員が全員「勘違い野郎」ではないにせよ、過去に接した人間の大半は、Dの看板で身を覆っただけの操り人形だった。無駄にギラギラしていたり、無意味に自信家だったり、とてもじゃないが仲良くなれない輩ばかりだった。
だからこそ「Dの敏腕マーケター」と聞いた瞬間に、思わず顔をしかめたわけだ。
「あれだよ、村山さん」
そう言いながら、友人は手を挙げて村山に挨拶をした。なんと、こんな普通オブ普通のメガネが、Dの敏腕マーケターだと?
にわかに信じられないわたしを尻目に、二人は近況報告を交わした。会話がひと段落すると、村山はわたしに向かって軽く会釈をし、クライアントの元へと戻って行った。
(もっとギラついた格好して、「アサインしといて!」とか「コミットできるの?」とか、耳障りな横文字を並べて偉そうにしてなきゃ、Dの社員には見えないな・・)
そんな村山が帰国したとのことで、久々に飯を食うこととなったのだ。
*
「僕は昔、大手重工メーカーの海外支社で働いていました」
相変わらず「凡庸」という言葉が相応しい、尖ったところの見当たらない温厚な男が話し始めた。
「Dもそうですが、海外に出たら名刺の価値なんてゼロですよ」
業種や職種によっては相手側も認知している場合もあるが、日系企業でその名が通るのは、自動車メーカーか物作りの大手くらいだろう。
「だけど国内じゃデカい顔してるんで、上にいけばいくほど勘違いするんですよね」
ありがちな話である。国内大手となれば、下請けや孫請けその他関連企業からペコペコされるのが常。そのため、なんとなく勘違いするのだろう、自分は神だ!と。
「ある時、日本から副社長が来るということで、僕が諸々のアテンドをすることになりました。でも当日、副社長が飛行機に乗り遅れたんですよ」
それは手痛いミスである。とはいえ、次の飛行機に乗ればいいだけのことで、大したことではない。
「そしたら副社長、僕にこう言うんですよ。『いいかい村山君、私は大手重工メーカーの副社長だから、名前を言えば誰でも分かる。空港のカウンターへ行って、私が乗るまで飛行機を待たせておいてくれ』って」
当時、社畜ど真ん中の村山は、仰せの通りに外資系航空会社のカウンターへ向かい、副社長からの伝言を告げた。案の定、外国人のグランドスタッフは無言でニッコリと笑って、奥へと引っ込んだ。
——そりゃそうだ。日本の大手企業の副社長など、外国人の彼女たちにとっては無関係に等しい。賄賂がもらえるわけでもなければ、なんのメリットもないわけで、定時出発の飛行機を遅らせる理由など皆無。
このように、海外勤務を経験すると、日本における名刺の威力というものが「国内限定」であることを思い知る。さらに、日本の経済がいかに停滞しているのかを、帰国と同時に体感するわけだ。その証拠に村山がこうぼやいた。
「日本の職場に馴染んできて思うのは、上の人間がリスクを怖がって言い訳ばっかすることっすね。『それは確実にコミットできるのかね?』とか、そんなのやってみなきゃわかんねーだろ!って、マジでイライラしますよ」
この発言に、わたしは驚きを隠せなかった。
Dといえばイケイケどんどんの典型で、ルール無視も賄賂も忖度も、怖いものなしでゴリ押しする企業の代表格ではなかっただろうか?そんなワンパクな風潮は昔の話で、今はリスクに怯える純然たるホワイト企業に成り下がったのだろうか?
とはいえ、ある程度のリスクを許容するのが上司であり、企業の器のデカさだとわたしは思う。それよりも、プロジェクトの目的や社会貢献度、未来への布石となるかどうかなど、カネでは量れない価値を慮(おもんぱか)ることが、大企業がするべき選択なのではなかろうか。
まぁ、Dがどうなろうと知ったこっちゃない。イケイケどんどんが通用しなくなった今、広告代理店の競争は企業の大きさに比例しなくなったのだろう。
——そう、今まさに下っ端どもの下剋上が始まろうとしているのだ。
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