レインボー陰謀、オカルトトラスト、まことにすいまめーん

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陰謀論とかオカルトといった話は、いつの時代でも「付き物」といえる。ソレに踊らされる人々を見ると、過剰な反応に人間らしさが溢れており滑稽だ。

ソレを心底信じているとは思わないが、おもしろおかしく浸透していく様はライブ感満載の反面、不安を覚える。

とは言え、実際には陰謀でもオカルトでもないのに信じてもらえない話もあるわけで、それを伝えたとしても「アイツはヤバい」と括られるのは厄介なことである。

 

人生の経験値は諸々の判断に多大な影響を与えるが、それ以上に「想像力」が及ぼす影響の大きさを否定できない。

 

誰しもが自ら経験したことのない行為や現象を信じるのは難しいだろう。それがいわゆる「常識」であれば別だが、「常識」というのも誰かが作り上げた虚像であることがあり、やはり個々によって判断は分かれる。

信用できる人の発言だから間違いない。偉い人が決めたことだから間違いない。こういう根拠の乏しい決断がまかり通る一方、事実が驚くほどキレイに隠匿される場合もある。

 

私は人間など誰一人信じていない。

自分のことすら信じていない。

 

一時の感情で容易く動かされる脳と精神でできた人間など、もっとも脆く儚い生き物といえる。常に死と隣り合わせの野生動物と比べれば、まっとうな言葉も振る舞いも何一つ信用ならない。

 

しかしそんな人間の、唯一優れた能力は「想像力」だろう。

 

想像するだけで世界が変わる、楽しくも苦しくもなる。現実は変わらないのに、その思い込み一つで次の一秒が変わることなど、人間固有の特技としか思えない。

もし躓(つまづ)いたら想像すればいい。

目の前で起きている事象がどういうことなのか、目に見えない部分まで想像することで、不明瞭かつ不確定な出口がぼんやりと「確実に」現れる。

想像は、非現実的な妄想の場合もある。だが妄想が悪ではない、それすらも具現化されることだってある。

 

考えることや想像することは、人間を充実させると同時に成長もさせる。壁にぶち当たった時ほど、想像することで突破口が開ける。それは誰かの助言や導きではなく、自らが絞り出した「答え」だからだ。

 

 

仮に、

「トランプ元大統領と安倍元首相を個人的につないだのは、私の知人だよ」

と言ったとして、この言葉を信じる人がどれほどいるだろうか。ここから日米外交が始まったなど、ばかばかしく信じ難い。そしてこれが事実であろうがなかろうが、この発言をもって私は厄介な人間=陰謀論者と位置づけられるわけで。

 

某外交官の射殺事件について、

「表に出ていない事実がある」

などと発言すれば、これまた関係当局からマークされるだろうし、世間的には「完全にヤバい奴」と認定されるだろう。

もちろん、何も知らないが。

 

だが与えられた情報、それが「事実」とされるものだとしても、違和感を覚えるならば想像してみるといい。想像する権利まで奪われることはないわけで、思う存分想像を繰り広げればいい。そこでたどり着いた答えは事実かどうかより、自分にとっての「真実」ということで納めればいい。

 

 

ということで、毎晩23時40分頃に私は低周波音に襲われる。しかしこれは誰にも聞こえておらず、むしろ音ではなく振動というべき感覚なのだが。

 

近所の工事現場で重機の電源を切るときの音か、上空を通過する飛行機か回転翼航空機の音か、はたまたそれ以外のなんらかの不穏な低音か、まったく分からない。

誰かとその場に居合わせても、私以外には聞こえない音(振動)のため、「やっぱり変な奴」で終わってしまう。

 

音(振動)の正体がわかったところで消えることはなさそうなため、不快であるということだけ伝えておこう。

 

 

言葉に関して。

私は、言葉は最終手段と考える。言葉を発したから何かが変わる、とは思わない。内面からにじみ出た想いが言葉となり外へ発せられるだけで、文字や言葉を使ってコントロールできるとは思わないし、少なくとも私はコントロールされない。

適当なセリフを並べるくらいなら、黙ってるほうがマシ。

本当に伝えたい言葉だけ、口にすればいい。

 

脳は単純なもので、聞いた言葉を鵜呑みにする性質がある。朝起きてまだ眠くても「よく寝た」と一言発すれば、脳は「よく寝たんだ」と勘違いし、スッキリしてしまう。

だが、思い込む力が強ければ、言葉を発しなくても脳をだますことは可能。

 

言葉遊び以外で、薄っぺらい言葉に惑わされることなかれ。

真実は自分の中にしかない。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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