長いこと慣れ親しんできた習慣を、突如変えなければならないときもある。
たとえば怪我や病気で利き手が使えなくなったら、逆の手を使わざるを得ない。また、他人と同居生活を送る際、同居人とうまくやるために己のやり方を殺して相手に合わせたり。
だが慣れてしまうと案外なんでもないもの。むしろそっちのほうが本来の姿だったのでは?と思えることも。
わたしが体験した「習慣の変化」は、トイレットペーパーの使い方だった。
数か月前、スパーリングの最中に肋軟骨を骨折した。あの時の日常生活は地獄に近かった。横になって寝ることもできず、道を歩けばチワワよりも遅い。くしゃみや咳どころか軽快にしゃべることすらできなかった。
肋軟骨という体の中心部分を痛めたため、何よりも体をねじる動作が苦しい。そこで問題となるのが「トイレでのおしりの拭き方」だ。
幼いころ習った拭き方は、
「おしりの後ろからトイレットペーパーを当てて、前から後ろに向かって拭く」
という方法。これは一般的であり、おしりの専門家である肛門科のドクターもそのようにおっしゃるわけで、間違いはない。
だがこれは体をグイッとひねるのが大前提の話。太っていたり、怪我をしていたり、高齢であったり、さまざまな理由から上半身をねじるのが難しい人もいるわけで、この場合はおしり後方から手を入れることが困難だ。
となれば残るは「前から」しかない。
物心ついたころからずっと、おしりは背後から拭くものと教えられてきたわたしにとって、手を前から入れて拭くのは一種の恐怖を感じる。
ーーやってはいけないことをしているのではないか、そんな罪悪感すら感じる。
しかし背に腹は代えられぬ。やらなければならないのだ。いつまでもトイレでボーっと座っているわけにはいかないのだから。
満を持して、わたしは股の間からトイレットペーパーを差し込んでみた。その瞬間は必死すぎて、どういう心境だったのか記憶にない。
ウォシュレットの水分をペーパーに吸収させると、すぐさま流して逃げるようにトイレから出た。
(案外、平気だったな・・)
思いのほか難しい作業ではないことに拍子抜けするも、トイレットペーパーを差し込むポジションが変わったことに違和感を覚えながら、2週間が経過した。
その頃にはもはや、フロント(前方)から拭くのが当たり前となっていた。
*
ある日の雑談途中、ふとこのことを思い出したわたしは友人らに尋ねた。
「トイレでさ、前と後ろどっちから手を入れて拭く?」
すると意外にも、意見が真っ二つに分かれた。
まず男子は全員一致で「後ろから」だった。
理由は、前からだと邪魔になる物体があるから(邪魔ではない、大切なものだ!と叱責を受ける)ということで、たしかに納得できる。
そして女子はまさに半々で、「前から派」と「後ろから派」に分かれた。
年代も10代から50代まで満遍なく調査したため、世代間ギャップとも考えにくい。中には、
「大は後ろから、小は前から」
という二刀流も存在する。
わたしの幼少期はウォシュレットなど普及していなかったため、トイレの後はトイレットペーパーでキレイに拭き取る、というスタンスだった。
しかし今ではウォシュレット付きのトイレがほとんどで、用を足したら多かれ少なかれ水で洗浄する。となると、お風呂のシャワーでキレイにするのと同様の状態となるわけで、そこをさらにゴシゴシする必要はない。
インドのトイレにはトイレットペーパーがない。その理由は、便器の近くにある蛇口をひねり、その水でパシャパシャすることでおしりを清潔にし、そのままパンツを引き上げて「パンツの布で水分を吸収する」ことで完了するからだ。
現地で散々トイレットペーパーの存在を尋ねるわたしを、逆に不思議そうな目で見つめるインド人女性を思い出す。
つまりだ。トイレットペーパーの役割としては、ウォシュレットの水分を吸収する程度で十分といえる。
昔のようにギュウギュウ拭かなくても、ポンポン当てる程度で目的は果たせるわけで、後ろから手を入れて拭くセオリーとして有力な、
「おしりに付着する大腸菌が、膀胱などに入って炎症を起こすといけないから」
といった心配は、無用となったのだ。
*
あれ以来わたしは、前後どちらからでもいける「両刀使い」になっただけでなく、左右の手を使い分けるまでに進化した。
入った個室のトイレットペーパーの位置により、右にあれば右手で、左にあれば左手で拭くようにしている。
習慣というものは人間の思考力や発想力を鈍化させる傾向にある。
よって、これからもどんどん常識とされる習慣を打破していこうと思う。
サムネイル by 希鳳
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