「あれ、URABE係は?」
その「係名」を聞いたときにふと思った。そうだ、わたしには昔から「係」となる人物が存在していた——と。
わたしのことを「しっかりしている」とか「優秀だ」などと言ってくれる者が稀にいるが、残念ながら完全なる勘違いである。そして、若い頃からそのことに気づいていたわたしは、自ずと「しっかりしている友人」や「優秀な友人」で身を固めてきた。
その結果、まるでわたしが”ちゃんとしている人間であるかのような錯覚”を起こすことに成功したのである。
思い返せば中学時代、もうすでにURABE係は存在していた。家庭科の授業で提出が必要となるハーフパンツの製作を、作るはずもないわたしの代わりに隣のクラスの友人が作ってくれたことを、感謝とともに未だに覚えている。
また、調理実習では「どうせURABEはやらない」ということで、わたし抜きのメンバーで準備や調理が進められるも、出来上がった料理はわたしの分までちゃんと用意されており、美味しく食べさせてもらった感謝と記憶がある。
ちなみに、高校時代の家庭科でも被服の提出物があったが、その際に先輩が昨年提出したものを借りて出したところ、それがバレて大目玉を喰った。なぜバレたのかというと、「これは●●さんの作品でしょう。なぜ分かるのかというと、昨年度の生徒の中で最も素晴らしい出来栄えだったからですよ」と、まさかの種明かしをされたのだ。
そして時はさかのぼり、ここ最近のURABE係として頭角を現しているのは、「現金を用意する」という任務である。
家中をひっくり返しても、出てくる紙幣はドルかユーロしかない我が家において、支払いが現金のみ・・という店舗は恐怖に値する。そんなとき、URABE係はあらかじめ二人分の紙幣を用意しているのだ。そして待ってましたとばかりに、「大丈夫、どうせ現金ないだろうから用意してきた」と、二人分の支払いを済ませるのである。
もちろん、すぐさまPayPayなどでその分を送金するのだが、よくよく考えてみると、飲食店での会計時に「現金がありません」というのは、食い逃げに匹敵する行為である。しかも、不運にも一人で食事をしたときに限ってそんな瞬間が訪れるわけで、過去には支払いができないわたしの代わりに、後ろに並んでいた客が払ってくれたなんてことも——あれも、即席URABE係だったのか。
また、海外へ渡航する際にわたしの身元保証人となる友人がいる。本来ならば身内の誰かを指名するのが一般的だが、わたしが巻き起こす事件やトラブルに、平常心で対応できる肝っ玉の座った身内など皆無。よって、トラブルの専門家である弁護士の友人に尻拭いを頼んでいるのだ。
(そういえば数年前、所持している散弾銃の許可更新の際に、身辺調査の一環で特定の友人へ警察署から電話があった。その際に、弁護士の友人へ架電したことで「あぁ、●●警察署に拘留されたのか」と勘違いしたまま話が進み、なぜか会話が噛み合わないということがあった・・という報告を受けたことがある)
他にも、わたしを宥(なだ)める担当や首根っこを掴んで突進を止める担当など、放っておけば問題行動しか起こさないわたしを、上手に窘(たしな)めたり戒(いまし)めたりと、手のひらで転がしつつ平穏を保ってくれるURABE係がたくさん存在する。
「今日のURABE係はどこいったぁ?」などと、わたしの暴走を鎮圧するべく担当者の確認がされるなど、当の本人は気づいていないが周囲のサポートがあってこそ、わたしはこの世で無事に社会生活を送ることができるのだ。
食べ物を与える行為など、まさにURABE係のメイン業務といえるだろう。とにかく、食べ物をチラつかせればいとも簡単になびくわけで、そうやってわたしをコントロールするのがURABE係であり、URABE使いなのである。
要するにわたしは、獰猛(どうもう)なペットという扱いなのだ。放っておけば田畑を荒らし民家に被害を与える猛獣だが、一度エサで手名付ければ素直に従うチョロい獣——。
(まぁ、それでいいや。いや、むしろ食べ物がもらえるのだから、それがいい!)
こうして今日も、URABEを従えるべくURABE係は奔走するのであった。あぁ、ありがたやありがたや。




















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