わたしは、おむすび一つでどんな泥仕事でも引き受けるタイプなので、その辺の人間と比べて「他人が作った手作りおむすびをほおばった回数」は圧倒的に多いはず。
そしてこれまた不思議なことに、「受け取ったおむすびが美味くなかったことが、一度もない」というのも事実。むしろ、何個でも・・いや何十個でも食べられるんじゃないかと思うほど、誰が作ったおむすびも個々の味わい深さがあり、その都度、至福の時を満喫するのであった。
そんな”おむすび神の化身”であるわたしは、手作りの特大おむすびを二つ、賄賂・・いや報酬としてもらう代わりに、友人からのとあるオファーを引き受けた。そして、「料理は得意ではない」と卑下する彼女が、果たしてどのようなおむすびを作ってくるのか、あまり期待をせずに待ち構えていた。
「大きいのを二つ、作ってきました」
料理が上手かろうが下手だろうが、誰でもできる最終手段はサイズをデカくすることだ。そしてわたしは、おむすびに関してはデカさを求めるため、平べったく伸びたビッグサイズのおむすびを受け取ったことで上機嫌となった。
それにしても、料理が不得手とはいえさすがは女子。一つは鮭フレークが入った”海苔巻きおむすび”で、もう一つはふりかけで味付けをした”混ぜご飯おむすび”という、異なる二種類の味を用意してきたところは高評価といえる。
——サイズ感的にも文句はないし、味に関してもそこまで差の出る具材ではない。となると、残すところは米の炊き加減だけか。
おむすびというのは、そのほとんどが米でできたシンプルな料理ゆえに、言うまでもなく”米の状態”こそが評価を左右するポイントとなる。それすなわち、種類やブランドよりも米の炊き加減によって、健全かつ幸福に満ちたおむすびかどうかが決まるわけだ。
(彼女は北海道出身だし、実家から送られてきた米だとすれば質の担保は十分。あとは、炊き加減次第ってところか・・)
片手で持つには余るほどの、漫画に出てきそうなデカいおむすびのサランラップを剥がすと、おそるおそる口へと近づけるわたし——たのむ、どうか美味いおむすびであってくれ!!
(・・・え、めちゃくちゃ美味いんだけど!?)
過大評価ではなく事実として告げるが、これはもはや奇跡である。信じられないほど完璧な状態で炊かれた米からは、もっちりとした食感に加えて白米が持つコクと甘みが感じられ、素人とは思えないレベルの完成度。それゆえに、「料理が不得手」などとセルフハンディキャッピングをすること自体、かえって嫌味であり不誠実といえるほど——。
そんな”圧巻の出来栄えのおむすび”を頬張りながら、率直な感想と称賛を友人に伝えたところ、予想だにしない返答があった。
「ほんとですか?それ、パックご飯をレンジでチンして作ったんですけど・・」
わたしは絶句した。北の大地で育った一級品の白米を、特別な水を使って土鍋でふつふつと炊き、ようやく誕生した奇跡のごはんを握って作った特別なおむすび——そんな妄想が、一瞬にして吹っ飛んだのだから。
「でも、愛情を込めて握りましたよ」とか「心を込めてサランラップで包みました」とか「パック飯3個なので、おむすび一個300グラムです」など、こちらにとってはどうでもいい補足情報を聞き流しながら、日本が誇るパック飯のクオリティに震えつつ、己の舌の未熟さに愕然とするのであった。
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とはいえ、おむすび自体になんら罪はない。これからもどんどん、手作りおむすびを与えてもらえると幸甚である。





















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