作り手の顔が見える料理の醍醐味

Pocket

 

ここ最近の多忙と生来のズボラさとで、主食が"菓子"のわたしは、明らかに健康被害と隣り合わせの生活を送っていた。

そんな食生活を改めさせてくれる唯一の方法は、「健康的な料理を手に入れること」である。これは簡単で当たり前に聞こえるが、料理をしないわたしにとっては至難の業。

要するに、健康的な料理を提供してくれる店を探さなければならない・・ということだからだ。

 

ではいったい、健康的な料理というのはどういうものを指すのだろうか。食材を生かした野菜メインの料理だろうか・・いや、違う。

わたしが思う健康的な料理は、「作り手の顔が見える、愛情のこもった手料理」のことである。

 

なんだそりゃ?と笑われそうだが、考えてもみてほしい。仕事であれプライベートであれ、自分が作った料理を知り合いが食べるとなれば、いつもより張り切るのものだろう。

味は当然のこと、カットや盛り付けなどをいつもより丁寧かつ華やかにしようと、自然に力が入るのではなかろうか。

 

その意気込みというか愛情が、料理にも伝わるのである。とくにわたしは、弁当にこそ想いが詰まっていると断言できる。

自宅での作業が多いわたしにとって、外食というのはなかなかハードルが高い。そのため、持ち帰りができる店のほうが使用頻度は高くなるのだが、そんなわたしにとって理想的な料理店を見つけてしまったのだ。

 

池袋駅北口から徒歩3分、「炉端おあしす」こそが、わたしにとっての"オアシス"なのである。

 

 

"炉端"というからには魚料理がメインであり、知床羅臼の漁師直送のホッケだったり、島根県隠岐の島から直送の魚介類だったり、当然ながら新鮮かつこだわりの素材が揃っている。

そういえば、白ワイン仕込みのサバを食べたところ、青魚が苦手な人でもがっついて食べられるであろう、品のあるふんわり食感に驚かされたわけで。

 

さらに見事なのは、「本物のねぎま」という名の、ネギとマグロの串焼きだ。

「江戸時代は、マグロのトロは脂っぽい・・と捨てられていたのだそう。それを見た庶民が『もったいない!』ということで、ネギと一緒に炊くことで"ねぎま鍋"を密かに楽しんでいたようです」

そう教えてくれたのは、炉端オアシスの民子さんだ。続けて、

「でも、それが美味しいと分かると値段が高騰してしまい、庶民は鶏肉で代用するようになりました。なので"ねぎま"は元来ネギとマグロなんですよ」

と、本物のねぎまにかぶりつきながら、ねぎまの豆知識を与えてもらったわたし。

 

ところが、この店におけるわたしのイチオシは、魚でも肉でもなく「おむすび」なのである。

使用しているのは奈良県産の米(名前を聞き忘れた)で、天皇陛下に献上された経歴を持つ逸品。その米を土鍋でクツクツ炊き上げたご飯が、とんでもなく美味いのだ。

熱々の米二合を8個のおむすびに握ってもらい、わたし専用弁当の米側が完成となる。もはやこれだけでも十分なのだが、そこへプラスして、民子さんオススメの肉や魚料理を詰めてもらえば、URABE弁当のできあがり。

 

おむすびのほとんどは帰りの電車で食べてしまうので、帰宅するとおかずメインの弁当になっているが、遠足でもなんでも歩きながら食べるおむすびほど、美味でオツな食べ物はない。

そんなわけで、夜分の車内でこっそりいただくおむすびに、その日の疲れを癒されるわたしなのであった。

 

それと同時に、作り手の顔を思い浮かべながら頬張る料理というのは、ヒトの心を健康にする効果がある。

当然ながら、わたしのことを思いながら握ってくれた(であろう)おむすびは、舌で感じる味覚以上に深い味わいがある。そんな食べ物を口にする機会はそうないわけで、希少価値も相まってより贅沢な食事が実現するわけだ。

 

だからこそ、そういう飲食店を見つけることがわたしにとっての生き甲斐であり、健康を維持するための命綱となっているのである。

 

 

・・というわけで、民子さんのおむすびに舌鼓を打ちながら、心身ともに健康を取り戻したわたし。

これで明日からしばらくは、(少なくとも精神的には)元気に過ごすことができるだろう。

 

Pocket