ポップコーンまみれ

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映画館で売っているポップコーンには、麻薬的な何かが入っているのでは・・と疑ってしまうほど、理解不能なレベルで手が止まらなくなるのはなぜだろう。

日常生活において、そもそもポップコーンを見かけることは少ない。コンビニの外資系スナック売り場でたまに陳列されているが、それをあえて買おうと思ったことはないし、そもそも美味そうだと思ったこともないわけで・・。

にもかかわらず、映画館へ行くと毎度必ず、吸い寄せられるかのようにポップコーン売り場の列に並んでしまう”刷り込み”には、もはや遺伝子レベルの恐ろしさを覚えるのであった。

 

日本において、映画館でポップコーンが売られるようになったのは1980年代とのこと。現在の映画館の主流となる「シネコン」が登場したのがこの頃で、一つの映画館内で複数のスクリーンが存在するスタイルが人気を博した。それと同時に、アメリカで流行っていた「映画を見ながらポップコーンを食べる」という文化(習慣)も継承され、いつしか当たり前のようにポップコーンが売られるようになったのだ。

”映画館とポップコーン”という組み合わせが支持される理由の一つに、「咀嚼音の小ささ」が挙げられる。チップス系のバリバリ音やスルメやジャーキーといったクチャクチャ音は、映画への集中力を奪うのみならず、独特の強い香りを放つことから好き嫌いが分かれる。

それに比べてポップコーンは、咀嚼音がほぼ聞こえない上にフレーバーの香りも広がりにくい。あえて聞こえるとしたら、ポップコーンに手を突っ込んでガサゴソやるときの音くらいで、それを聞けば「あぁ、ポップコーン食ってるんだな」と思うことはあれど、それ以上でも以下でもないため映画鑑賞の邪魔をするほどの影響力はない。

 

そんな、映画館における”ながら食い”の頂点に君臨するポップコーン——なかでもキャラメル味は、手放しで「美味い」と感じてしまうから恐ろしいのである。

 

 

友人とともに「劇場版 鬼滅の刃 無限城編」を観に来たわたしは、バケツ型の容器に目一杯詰め込まれたキャラメル味のポップコーンをつまみながら、映画鑑賞に耽っていた。

 

ポップコーンといえば塩味が定番だが、自称・糖尿病予備軍のわたしにとってはキャラメル味がマスト。あの、絶妙に甘すぎない甘さと固まったソースの噛み応えが、何ともいえない常習性を醸し出しており、冷静に考えれば特別美味いわけでもないし、ポップコーンが好きなわけでもないにもかかわらず、手が止まらなくなるのだ。

 

そして本編が始まり何十分か経った頃、身動き一つせずシーンと静まり返る空間でわたしの左手だけが動いていた。——そう、ちょうど泣けるシーンに差し掛かったのだ。

だが、まるで作業用ロボットのようにポップコーンを口へと運び続けるわたしの手は止まらなかった。もちろん、止めようと思えば可能ではあるが、スクリーンに集中すればするほど、一定の周期を刻むわたしの手は正確な上下運動を繰り返すのであった。

 

館内には、かすかに鼻をすする音が響く。それと同時に、わたしがポップコーンをかき混ぜる音も響く——。

 

ポップコーンが終わりに近づくと、ポップコーン同士の摩擦だけでなく容器と粒が接触する際の音が強くなる。そして、それもまた音を聞いただけで状況が把握できるので、わたしの一挙手一投足が他人にバレる・・という、プライベートをのぞき見されるかのような恥ずかしさを覚えるのであった。

そんな、「キャラメルポップコーン終盤戦」をクリアしようとしていたところ、隣に座っていた友人が、まかさの”誤って塩味のポップコーンをぶちまける”をやらかしたのだ。しかもよりによって、わたしの足の上に・・。

 

だが、持ち前の「貧乏人根性スキル」を発動させたわたしは、とっさに膝を締めつつ持ち上げた——少しでも多くのポップコーンを救済するべく、無意識に体が反応したのだ。その行動が功を奏して、わたしの股間から太ももの上には大量のポップコーンが留まった。

(・・これ、わたしが食べるのか)

 

キャラメル味ならば2バケツでもウエルカムだが、塩味はコーラとセットでなければ意味がない。そしてわたしは、コーラ・・というか炭酸飲料が苦手なため、滅多に塩味のポップコーンを口にすることはない。

しかしながら、今のこの状態で塩味のポップコーンを放置するわけにはいかない。当然ながら食べ物を粗末にしてはならないし、好きだの嫌いだの言っている場合ではないわけで——仕方がない、食べるか。

 

こうしてわたしは、膝を固く閉じた状態をキープしながらポップコーンを摘まんでは口へ運ぶ・・という作業を開始した。

一般的な女性ならば、両太ももの間に隙間ができてしまうため、どれほど頑張って膝を閉じたとしても、ポップコーンは座席または床へと零れ落ちてしまうだろう。だがわたしは、液体すらも維持できるほどの密着度を誇ることから、ポップコーンごときは難なく受け止めることができるのだ。

(おまえたち、命拾いしたな)

 

 

こうして、見ず知らずの者からすれば「股間からなにかを拾って食べている」という微妙にシュールな状況ではあるが、わたしはポップコーンを完食したのである。

しかも、驚いたのは「ポップコーンの残骸が衣服についていないこと」だった。これがポテトチップスならば、間違いなく表面のパウダーが手や衣服に付着するはずだが、ここのポップコーンはそうならない——要するに、映画館専用ポップコーンの「プライド」ってやつか。

 

何はともあれ、しばらくの間はポップコーンを食べたいとは思わないだろう。

 

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