久しぶりに会った宿禰(仮)が、ニコニコしながらこう言った。
「URABEは呪われないだろうね」
そもそも、呪われたことがあるかどうかも分からない、というか知りようもない。仮に呪われていたとしても、そんな自覚がないわたしは、あわよくば呪われる体験をしてみたいなどと、浅はかな考えを持っていた。
日常生活において、誰かを呪うあるいは呪われるというワードを耳にすること自体、ほぼありえない。強いて言えば、いま流行りの漫画・呪術廻戦が好きな人間くらいだろう。
それ故に、わたし自身が呪われるなどという、現実離れした不安を抱いたことはないのである。
しかし、宿禰(仮)は得意気にそう言ったのだ。URABEは呪われない、と。いったいなぜ——。
「だってそのピアス、呪い返しの鏡だもんね」
思わず二度見しそうな、驚きの発言が飛び出た。たしかにわたしは、銀色のコインがいっぱいぶら下がったピアスをしている。これは友人が作ってくれたお気に入りの逸品である。
そしてこのピアス、コインに模様がなければ鏡になりそうなほど、ピカピカに輝いているのだ。むしろ顔を映すというよりは、光を反射するという点で非常に優れている。
——なるほど。このギラギラしたコインのピアスをジャラジャラぶら下げたわたしは、呪いをかけられたとしてもキッチリ跳ね返しているわけだ。
しかも「呪い返しピアス」はジャラジャラと音を立てながら、あらゆる方向へ光を反射している。これならば、どの方向からいくつ呪いが飛んできてもバンバン跳ね返すことができるじゃないか!
・・そんなつもりはないだろうが、呪い返しの機能まで付与してくれた友人に感謝である。
*
(呪い返しの鏡って、どんな鏡でもいいのかな?)
ふと気になったわたしは、ネットで検索することにした。ただの鏡でいいのならば、多くの女子はバッグにコンパクトミラーを潜ませているだろう。かつ、その程度のことで跳ね返せるほど、呪いというやつは甘くも軽くもないはずである。
いくつかのサイトを見ると、「丸い鏡」という条件が一致していた。四角や楕円ではなく、まん丸い鏡というのが必須の模様。その鏡を、神社の手水など「清らかな水」で洗い、手ぬぐいやタオルで拭いたらきれいな布袋に入れて持ち歩くのだそう。
(なるほど、やはり鏡はキレイな状態でないとダメなんだな。それにしても・・・)
いくつかの呪い返しのサイトを訪問したが、なんと、これまた驚くべき現象が起きた。
これはわたしの問題なのか、それともこういった「呪い系」に興味を持つ人間の趣味嗜好がそうなのかは不明だが、サイトに表示される広告がすべて「エロ」か「葬儀」で埋め尽くされていたのだ!
呪いということで、不謹慎ではあるが殺されたら「葬儀」となるのは分かる。しかし「エロ」はなぜ——。呪いなどという陰キャが好みそうな行為ゆえに、
「呪いに興味があるやつなんて、非モテのドスケベに決まってんだよ!」
ということだろうか。ここまで画一的に広告が表示されるということは、少なくとも統計上はそうなっているのだろう。
それにしても、わたしは電車の中で「呪い返しの鏡」について検索しているため、両隣りの乗客からわたしのスマホ画面が丸見えである。この、派手に動くエロ広告を見られるのも微妙だが、せこせこと呪いについて調べる陰キャだと思われるのも不本意だ。
あげくの果ては葬儀社の広告がデカデカと表示されるわけで、ものすごく人生に悩む非モテのゴリマッチョだと勘違いされるのではなかろうか。
頼むから、ネット広告は選択制にしてもらいたい。エロ広告を見たいときは、自主的に検索するから、公共の場では勘弁してもらいたい——。
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