引きこもりのわたしが満員電車と遭遇することなどほぼないのだが、今日、よりによって帰宅ラッシュというのだろうか、乗車率200%の有楽町線に乗り合わせてしまった。
地下鉄有楽町線は、西武池袋線と東武東上線への直通運転が行われているため、諸々のトラブルによるダイヤの乱れが尋常ではない。そのため、有楽町線直通の西武線はほぼ毎日「遅延」の表示が掲げられており、通勤手段としてこの路線を使用する友人は、その度にぼやきのストーリーズを投稿している。無論、可愛そうではあるが、遅延状況が即時に把握できて便利だと思っていた。
日頃から有楽町線の遅延に翻弄される友人を、「あらあら」などと他人事のように嘲笑っていた罰だろうか——。
今日はわたしが、満員御礼の有楽町線に押し込められる羽目となったのだが、単なる満員電車ならばここまで大袈裟に騒ぐ必要はない。ではなぜ、こんなにも「満員電車」を誇張するのかというと、なんと、身動きの取れないわたしは三方向をデブ、いや、極端にふくよかで額から汗と脂を垂れ流しているオトコどもに、ガッチリと囲まれてしまったからである。
——これこそが満員電車の悪夢ってやつか。
実はわたし、痴漢に襲われる準備ができているのだ。いつどこでどの角度から襲われても対処できるように、常に神経を尖らせ気を張り、きたるべきその時を待ちわびているのだ。
にもかかわらず、なぜか痴漢に出会うことなくこの年になってしまったわけで、この世に痴漢などという犯罪者は存在しないのではなかろうか、とまで疑っているわけで。
だが今日、痴漢よりも不快を感じるであろう接触行為に直面したのだ。そう、デブ・・いや極度の肥満体のオトコの、微妙に冷たくてぐっしょりと湿った腕とわたしの腕とが触れあい、超不快な感触を味わわされたのだ。しかもそれは衣服の上からであるにもかかわらず、はっきりと明確に伝わってくるほどの湿り具合だった。
おまけにこちらは臭い付きである。明らかにデブ臭、いや、肥満体から放たれる雑菌の繁殖臭が、否応なしわたしの嗅覚を殺しにかかるのだ。肺呼吸でしか生きられない人間にとって、呼吸を止めるということはすなわち死を意味する。それなのにわたしは、まともな空気を吸うことすら許されない状況に強制的に置かれているのである。
大阪府警察は、
「ちかん(痴漢)行為とは、公共の場所や乗り物の中で、人の身体を触ったりして、被害を受けた人に恥ずかしい思いや、不安を感じさせることを言います。」
と紹介している。さすがに恥ずかしい思いはさせられていないが、極度の不安を感じさせられたことは事実。そう、わたしは被害者なのだ。
しかもデブ、いや、薄汚い肥満体のオトコ三人に取り囲まれ、唯一の逃げ道である一方向には、長身のサラリーマンの背中がそびえ立っており四面楚歌に近い状態。さらにリュックを胸の前で抱えているため、サラリーマンに背を向ける形でなければ安全な距離を確保できないのだ。よって、どうしてもデブ、いや、超肥満体三人組と向き合わなければならず、逃げ道などどこにもないのである。
これが満員電車でなければ、そそくさとしっぽを巻いて逃げるところだが、いかんせん乗車率200%の車内ゆえに、直立状態でバランスを保つことすら難しい。そんな中でこの三人組の腐敗した腕と強制的に接触し、かつ、エラ呼吸に切り替えたいほどの異臭に襲われるなど、考えてもみなかった。
痴漢のような単純動作にばかり気を取られて、デブ汗とデブ臭への対策を怠っていた己を恥じた。——そうだ、もっと起こりうるであろう現実と向き合うべきだった。あぁ、わたしは本当に馬鹿で愚かなオンナだ。
そんなわたしの苦悩などそっちのけで、三人組は揃いに揃ってスマホをのぞき込んでいる。しかもデブに共通するものなのか、三人ともが少女のキャラクターが登場するゲームやYouTubeに目を輝かせているのだ。
(クッ・・、こいつらブッコロ・・)
怒りに震えるわたしだが、とにかく小さくなる努力を優先した。奴らのヌメヌメした腕と接触しないように、脇を締め肩を硬直させ腕をコンパクトに畳んだ。そして全身全霊で「寄るな!」という呪いを放った。
わたしに触れるな、わたしに触れるな、わたしに触れるな——。
(ギャーーーーッ!!!)
急停車の反動で、わたしはデブ三人に押し潰されたのだ。なんだこのおぞましい湿り気は!!なんだこの化学兵器バリの異臭は!!そしてなぜ、貴様らは自らの足で自らの体重を支えようとしないのだ!!!
——発狂寸前のわたしは、次の駅で転がり出るように下車した。この選択肢以外に、わたしが持ちうるカードはなかったのである。
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